当地の石川県で3回目(女将は4回目) の夏を過ごしているが、海を見る機会が少ない。
転居以来、花火見物を兼ねて和倉温泉に行った際に、2度だけ見た。
東洋経済新報社による「住みよさランキング」2012年度版で第2位となった野々市市は、山も海もない平地である。
県の西側は海と思い、過日は北陸鉄道浅野川線に乗り海に向かい終点に行ったのだが、海岸には程遠かった。
横浜在住時は徒歩20分で八景島シーパラダイスに、鎌倉在住時は30分で江ノ島に着く場所に住んでいた者としては、なんとも淋しい。
昭和40年代にはPADI (スクーバダイビングの指導団体) のアドバンスド・ライセンスと潜水士の国家試験を取得し、三浦半島を庭に伊豆半島の海を潜っていた頃の抜けるような青空が懐かしい。

思えば、初めて海水浴をしたのは秋田市の新屋(あらや、新屋浜) か浜田(はまだ) という浜だった。

小学2年生の1学期に、親父の転勤があった。
秋田県鹿角郡という海の無い土地から秋田市に住み、初めて海を見た。
軟弱で風邪をひくことの多かったおいらは、鹿角郡に居た頃には湯治に連れて行かれたが、海のある処に出てからは海水浴で躰を鍛えようというのが親父の方針だったらしい。
子供の頃は、どのようなルートで海水浴場まで連れて行かれたのか記憶にない。


今になって地図で眺めると、当時の住居からだとJRで2駅かかることがわかる。
自家用車を持たなかった親父の自転車の後ろにしがみついて、あの距離を移動したということだ。
そう言えば、おいらを海に浸からせながら親父が投げ釣りをしていた景色を思い出す。
また、おいら一人で自転車の三角乗りをして海に向かったことがあり、途中の工事現場(?) で気絶し、作業員に助けてもらったことがあった。 今にして思えば、あれは熱中症だったのだろうか。

秋田の短い夏の間に有効に海水浴させる為に、親父が勤務の日にはお袋が連れて来てくれた。 と言うことは、1時間に1本程度の国鉄で2駅乗り、駅から2Km以上掛けて浜まで歩いたということだ。 道行に慣れてからは、下浜海水浴場(4駅目のJR下浜駅) にも行った。
海水浴というものの、昭和30年頃の秋田の浜に海の家が在るハズも無く、おむすびと水筒を持参して、誰もいないような浜に行って 海に浸かっては日光浴をするだけのことだ。 
当時は40代だったお袋は、トイレ等はどうしていたのだろうか(?) と思いながら、今更ながら感謝する。
釣りを楽しめる親父は それなりに時間つぶしができたようだが、水着を着ることもなく日焼け予防の手ぬぐいを被って何も無い浜のハマナスを座布団代りに座り見守ってくれたお袋を思い出す。

夏祭りの夜店で、浮き袋を買ってもらった。 後になって思えば、人造ゴム製の安物だったのだろう。
さっそく持参しての海水浴ということになり、泳ぐ(?) ということを体験している時、たまたま泳いでいた人が 「ぼうず、空気が抜けているゾ」 と教えてくれた。 慌てふためいて浜までたどり着いたが、あれで泳げるようになった。
秋田のひとけの無い浜で、鈍色の空を背景に砂浜に腰かけていたお袋の姿が溺れかけたおいらの目に懐かしい。

今、秋田と同じ石川の鈍色の空を眺めながら、海と お袋が居ないことを不思議に思う。