横浜市に転居した頃、我が家は貧しかったようだ。

秋田市の家には、当時高校生のおいらとお袋が住み、親父は単身東京住まいをして横浜に家を新築していた。

東京都板橋区内のアパートに住み仕事をしながら、暇を見つけては新築工事の立会いをしていたと聞く。
現代のように建築専門会社が多数無い当時、新築は東京都大田区蒲田の大工の棟梁と契約して工事を行ったようだ。  基礎工事等には親父も手出しをしていたことが、後になって調べた書類から伺い知れる。

そうして完成した住居に移り住んだ後、親父とお袋の朝食は「食パンの皮」だった。
皮と呼ぶのかは判らないが、焼きあがった食パンの長い方向にできる固い部分である。

今では 「能見台」 という洒落た駅名になっている京浜急行の駅は、当時は 「谷津坂」 という駅名だった。
横浜高校への最寄駅でもあるが、当時は住宅用宅地整備に西武が力を入れており、「湿地」 を連想させる名称を変えてしまったとのことだ。  今では駅に近いエリアがメインとなっているが、当時は横浜高校に近いエリアがメインであった。  そこにパン屋が有ったのだ。

このパン屋は、食パンの皮を無料で配布しており、これを知った親父が毎朝の食事としたということだ。
秋田の田舎者とばかり思っていた親父達が、皮とはいえ食パンとインスタント・コーヒーで食事する姿にヘェ~と思ったものである。 (おいらは、朝食無しで出社していた)

考えてみれば、太平洋戦争に出兵し、ビルマ(インパール) でイギリス軍戦時捕虜として暮らした経験を持つ親父がパン食をすることは不思議なことでは無い。

そんな朝食生活が1年程度は続いただろうか。
或る日、くだんのパン屋が無料から50円にしたことで、以降はロール・パンの朝食に変わっていたっけ..