武田信玄のような髭をはやそうかな~と思い10日ほど放置していたが、女将に不評なので摺り落とした。
WikiPediaによれば

引用:

日本では、中世から江戸時代初頭にかけて、武士は髭を蓄えることは当然とされ、髭のない武士は嘲笑された。
そのため、髭の薄い者(豊臣秀吉が有名)には付け髭をつけることが行われた。
江戸幕府が安定する時期に入り、文治政治の時期に入ると、戦国の気風が幕府に対する謀反の心として警戒されるようになり、大名たちに髭を剃ることが流行りだし、月代と髷とともに、17世紀中葉までに定着するようになった。
加藤清正は、家康の家臣に忠誠を示すために髭を剃ることを勧められたのに対し「鎧の頬あてに髭があたる感覚が心地よいので」と断ったことから、骨のある武将との評判がたった。
その後、髭を生やす習慣は江戸時代初期に流行したが、「風紀を乱す」として禁止され、多くの武士も髭をそるようになった。ただし、例外的に山吉新八郎の様に、顔の傷を隠す事を理由に髭を蓄える事を仕官先から認められていたとされる事例も存在する。
江戸時代の「鎖国」(海禁)体制のもとでは、日本を「中華」とした独自の華夷秩序が形成された。
アイヌ民族が居住する蝦夷地(アイヌモシリ)は、日本から見て「蛮族の地」として扱われた。17世紀半ば以降の日本では、髭をはやさないことが文明人たる日本人の常識とされていた。
そのため、当時の日本人の絵画で、髭を生やしかつ髷を結わない野蛮人としてアイヌが描かれたことは、日本人のアイヌに対する偏見や蔑視感の形成及び強化につながった。
また、西洋人に対する蔑称である「毛唐」も、当時の日本人からみて、髭を生やすことを「野蛮」とみなす常識を背景として作られた言葉である(ロナルド・トビ『「鎖国」という外交』小学館、2008年)。
西洋では18世紀頃から、特にヴィクトリア朝イギリスで髭を蓄えることが流行し、日本でも明治時代にはその影響から地位の高い男性の間では髭を蓄えることが流行した。
長岡外史などは、殊の外、髭を大事にしており、70cmにも達する「プロペラ髭」と呼ばれる長大な髭を蓄え、それを自慢していた。
現代においては、髭を生やす者よりも剃る者の方が圧倒的に多い。銀行、証券、保険、鉄道、航空、バス、タクシー、小売、飲食、ホテルなどの分野の大部分の企業では、髭をはやすことを就業規則や服務規程で禁止している。
高等学校段階までの大部分の学校では、髭をはやすことを校則で禁止している。髭自体を嫌っている者も多く、特に中途半端な髭の生やし方が「無精髭」という俗称で呼ばれ、不衛生だと感じる人もいる。
髭をはやすことを就業規則や服務規程で禁止していない場合、髭をはやしていることを理由に、昇格・昇給などの査定で不利益な扱いをすることや、解雇・停職・降格・減給などの懲戒処分をすることは、人権侵害という判例がある。

とある。

太平洋戦争に負ける前迄は、公職に付く者は髭を蓄えている者が多かったようだ。
男らしさと威厳の象徴として髭を生やしていたのだろう。
また、髭が濃いことは男性ホルモンの多い明しとして、子孫繁栄を望む家柄に求められたのかも知れない。