人はこの世に誕生した瞬間から、死に向けて生きて往くのだそうだ

言ってみれば、死ぬために生まれ、死に向かって生きているもしれない

しかし、死を向かえるにあたり、人が悲しむのは何故なのだろう
人が死ぬことを、何故悲しむのだろう

己自身が迎える死に対し、自己は冷徹であってもよいのではないか

しかし、己が抱える環境はそれを許してはいない
少なくても、自己はそのように思うのではないだろうか
残していく家族は..
そう思うのではないだろうか

自分自身でも、あの世とやらへの恐怖もあるのかもしれない

武士道にいはく 「死ぬことと見つけたり」。 葉隠れを読むべし

死ぬ人を見とる人にとっては、もっと辛いものなのかもしれない

歳を重ね、死を推定できる人を送るときでも辛いだろう。悲しいだろう
しかし、送る立場にとって、辛さ・悲しさは自分自身にとってのそれではないのか
死ぬ者は死んでしまえばそれだけではないだろうか
あの世などというものは無く、生まれ変わりなんてものはないのでは無いだろうか
いやいや、そんなことはいい

送る者は、自分の今後を憂いて悲しむだけではないのだろうか
死に逝くものにとって、あの世とやらがあればそれは幸せである

生きるも不幸、死ぬるも不幸
死ぬるも幸せ、生きるも幸せ
悲しむことなかれ
泣くことなかれ

すべてが幸せ
すべてが不幸
あるがままに
向かえるままに
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夏目漱石「草枕」 より
智に働けば角が立つ、
情に棹させば流される、
意地を通せば窮屈だ。
兎角にこの世は住みにくい