ディープダンジョンかづのサイトで、花輪線について書いているのを見て、爺の古いアルバムを引っ張り出してみた。
昭和39年頃(たぶん) の八幡平登山の際、各地を写した写真を見ていたら、以下の物を発見したのでお見せいたしたい。
なお、昔のアルバムに張ってあったものを、デジカメで複写したため、写りの悪いことは勘弁願いたい。


後生掛温泉
orig_DSCF0052

左側の上の建物が、現在のホテル部である。
その下で、一番左に移っている建物が、当時の湯治部受付棟である。
その下、真ん中付近の黒いトタン屋根が、湯治部1号館(?)である。
画面中央の緑の屋根が、大浴場であり、その左にちょっと出っ張った屋根が、当時できたばかりの女性専用の浴場である。
更に右側には、現在も流れる小川にボッチャンできる便所である。

また、ホテル部の(向かって)右側のデッパリは、ホテル部専用の浴場。
その右側が湯治部3号館(?)となる。(現在の、若草寮)
ちなみに、湯治部2号館(?)は、この写真には写っていないが、湯治部受付棟の左側となる。

当時、後生掛温泉への通行は、湯治部2号館(?)と、蒸し風呂棟の間を抜けて受付棟と湯治部1号館(?)の間に出た。
現在のホテル部に抜ける道路は、無かった。

当時の道の脇(山側)には、祠状になった部分に冷たい水が湧き出しており、沢蟹が採れた。
この湧き出し場所は、現在のホテル部に通じる道路工事でつぶれてしまったが、湧き水は今も昔の道に沿って流れていた。
また、写真からも判るとおり、オナメ・モトメから峠の茶屋に抜ける道は、現在はホテル部の上から通るが、当時は、大浴場の前を通っていた。
この写真は、毛氈峠に抜ける登山道そばの小さな社付近から撮った。

当時の蒸し風呂棟の内部である。
orig_DSCF0054

この「蒸し風呂棟」は、湯治部3号館(?)よりも、更に大沼よりの(当時の後生掛温泉への侵入路)の左側に有ったが、現在は痕跡する無い。
おそらく、現在のホテル部への新道工事の際、沢蟹が採れた湧き水と伴に撤去されたのであろう。


玉川温泉

orig_DSCF0053

こちらは、現在のたたずまいと、大差はない。

この写真は、どこかのパンフレットをパクっていた。

-昭和10年の八幡平の写真  八幡平小学校郷土資料室