昭和40年代の前半頃は、会社が主催するスポーツ大会の類が多かったことは、「昔のスポーツ大会」のとおりだ。
スポーツ大会に限らず、昭和年代は会社主催のレクリェーションが多かった。 労働組合がやらせた事らしい。
レクの内容は事務所ごとに異なっていたようだが、記憶に残るのは 「日帰りバスハイク」 と 「海釣り」 である。

バスハイク は、バスを満席状態にしなければ採算が取れなかった為、事務所を跨いで参加者を募集していた。
その為、女性だらけ職場との交友の場となり、若い独身男女の参加者が多かった。
とは言うものの、古参の独身女性 (40代の、所謂 「お局様」 ) も参加する為、独身男性は良い玩具状態になる。
お局様同士で競い合うかのように高価なウィスキーやブランディをバス車内に持ち込み、手作りの料理まで添えて独身男女に大盤振る舞いしてくれるのだ。 当時は駅チカ等が無かったので手作りしたのだろうが、今なら某所からお届けという事態なのだろう。
独身男女はお局様に精一杯の御世辞を言いながら、無料で御馳走になれるということだ。
バスハイクが終わると、道中で気に入られた者は解散地点の銀座界隈のお局様御用達のクラブに連れて行かれる始末になる。 ちなみに、お局様の努力も虚しく、この結果で結婚したという話は聞かなかった。

こんなバスハイクに5年ばかり参加していたが、不健康であると思い 「海釣り」 に切り替えた。
海釣りは、当時の自宅に近い三浦半島から船が出るため移動が少ないのでつまらなく思い参加しなかったのだが、先輩がマイカーで送迎してくれるということで話が決まった。
釣りの相手はサバやアジが多く、家庭を構えた男性には好評のレクであった。
人数見合いに仕立てる船は、五隻以上だったろう。
スクーバダイビングをするものの、海釣り初体験の儂は 竿からカッパまで道具を揃えて臨んだ。
初心者ほど怖いものは無く、さっぱり釣れない先輩達を尻目に、なぜか儂だけはやたらと釣れた。
釣ったところで持ち帰るつもりの無い儂は、すぐに釣りに飽きてしまい、釣れたアジを刺身に作り一杯と相成った。

儂が釣果を持ち帰らない事を聞いた先輩が呉れと言うので、どうぞ ということになった。
船べりに陣取った先輩は、アジの頭と腸を取るという作業を始めた。 ざっと見ても200匹は有っただろう。
「そんなに沢山さばいて、どうする」 と問えば、社宅で配るのだと言う。 「誠にご苦労」 と妙な感心をしたものだ。

横浜在住の頃、御近所には釣りが趣味という人が多かった。
「釣れ過ぎたのでお裾分け」 と言っては、アジやサバを持ちこまれ、辟易したものだ。
釣った夫は鼻高々なのだろうが、受け取った妻が呆れてしまい 近所にも災厄のタネをばら撒いたというところか。
我が家では女将共々に、「食べたい物は、食べたい時に、食べられる量を、買って食べる」 という主義だ。
釣りに行ったところで、その日に食べられる分が釣れれば上等として帰路に着く。
よその御宅の迷惑を考えずに 「釣れ過ぎたのでお裾分け」 という釣り人の神経は、未だに理解ができない。