御嶽山 | 社会人としてのモラルを考える」を拝読した。
御嶽山での被災者に御見舞いと共に登山することのリスクと、救援に当たる人達の労苦について書かれたと見る。

過去記事 「予知レベルはそんなもの!?」 及び 「無能と知った現代科学」 のとおり、自然災害の発生を予測することは困難である。 それにも関わらず、自然に触れたいが為に人は山を登る。 ※「山に登る楽しみとは
登山を好み、そして諦めた儂としては、山に行きたい気持ちはよく判るつもりだ。 だが、敢えて言おう。
日常と異なる環境に身を置くことは、当然の事としてリスクがあることを覚悟して臨むべきだろう。

望んで山に登り遭難した者は、自身が諦めれば済む事かも知れない。
しかし、残された家族は生存を熱望し、救助隊に対して遭難者の救助を求める。
救援要請を受けて救助に向かう者は堪ったものではない。 救助する者にも家族がいることを忘れてはならない。
WikiPedia:遭難より抜粋引用
消防や警察、自衛隊など公的機関の捜索は税金で行われるために本人や家族に請求される事はない。
しかし、民間団体に出動を依頼した場合、日当が一人3万円~10万円、民間ヘリコプターを使用した場合、遭難者の発見未発見に関わらず1時間で50万円ほど費用がかかり、後で多額の費用が本人や家族に請求される。
「山岳保険」によって上述の諸費用(の一部)を補償する事ができる。
一般に、「山岳遭難は捜索費用がかかり、海洋遭難は費用がかからない」とされる。
これは、山岳遭難と比べると民間でできる事は限られ、捜索のため漁船など民間船舶を借りた場合でも、船を所有する際に必ず加入する「漁船保険」や「マリンレジャーボート保険」に予め含まれる海難捜索の条項により補償されるためである。
儂がロッククライミング中に滑落し ザイルを共にしていた仲間が死んだS40年頃には、ヘリコプターによる救助なぞは望むべくも無かった。 雪崩にあっても生きているであろう時が過ぎれば、遺体が収容されるのは雪融け以降である。 公的機関による山岳救助は名ばかりの時代だった。
今では公的機関による救助が当然の事として扱われ、その救助体制に文句を言う親族もいるようだ。

リスクを伴う場所に行く場合は殊更に、その自然環境等を調査した上で万全の態勢・装備で臨むべきだろう。
当たらないとはいうものの気象庁の発表する天気予報すら確認せずに、自分の都合だけで山に・海にレクリェーションに行く日取りを決め、強行するなどは愚行以外のなんでもない。
少しでも自然環境等の変化を感じたならば、退くべきである。 根拠無き楽観主義では済まない。
リスクを伴う場所に行く場合は、「医者の同意書」 に類似した物 すなわち 「死んでも文句は言いません」 的な意思表明書が提出されてもよいだろう。
登山届を提出しない者は、公的機関による捜索や救助を行う必要は無い。 自腹で民間に依頼するか、親族で捜索すれば良い。

無宗教の日本人であるが、事故に際してはに拘るようだ。 
「墓地、埋葬等に関する法律」 により埋葬に関する決め事があるが、それに固執するのではあるまい。
後は割愛する。 ボカスカ殴られたくはない。
♪千の風になって
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません

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