最近、興味を持つことというか(?)、考え方とというか(?)、が、ワンパターン化してきたように思う。
これは、単に齢を取って頭が硬くなった為なのかも知れないが、ブログを書くようになってから気がつくようになった。
硬くなりつつある頭が 「ブログを書く」 ということで、世の中の見方が偏狭になるのだろうか。

そもそも、一個人として関心を持つ事が そんなに多いとも考えられないのだが...
世の中の文化・出来事等は、歴史的に見て一定のサイクルで繰り返されるとも聞く。 これは図書を見ても知れる。
最近の雑誌等でも、60年前の雑誌と同じ内容を書けばヒットすると聞く。
人間を60年も続けていると、大概のものを見た気がする
巷の 流行 ・ 図書 ・ 話題 なども、いつか見たな~という事ばかりだ。
そんな繰り返される世の中の出来事にばかり関心を持って、自分の考え迄もが同じ繰り返しをしているようだ。

人間なんて~ものは、さしたる目新しい事もせずに、昔にあった事を繰り返しているということだろうか。
コンピュータが出現して 月に宇宙にと出かける時代になっても、所詮は文字で文章を書いて 弥次喜多道中で旅をしなが情報収集している時代と、人間の興味の範疇は変わらないということだろうか。

過日のドキュメンタリーで、「雨の降らない砂漠で生息するトカゲが、海から立ち上る霧が自らの目玉に付着するのを舐めて水分を採る」 ということを見た。 水分を採ることで一生を過ごすトカゲは、何の為に生まれたのだろうとも思う。 トカゲの中には、水分採取中に他の生物の餌食になるものもいた。

しかし、人間の一生も、あのトカゲと大差無いとも思う。 生きる為に水を飲み、水を飲む為の動作を考えることが人生なのだろうか。 食うために生きるのか(?) 生きるために食うのか(?) との議論が華やかな時代もあった。
それなりのライフプランを考えて過ごしたところで、所詮は自分自身にとっての人生であろう。
"這えば立て、立てば歩めの.." とも言うが、人生や生き甲斐と言ったところで、各個人にとっての大事という事だ。
大金持ちになろうが、大政治家になって銅像が立とうが、一生は一生である。 先祖を自慢するのは子孫だけ。


人類のオスである者が、生き甲斐だったのかも知れない仕事から退き、社会を見る窓が狭くなったということにしても、関心を示す事が少なくなるということは 好ましい傾向とは考えられない。
政治や社会の出来事に関心を持って 偉そうに持論を語っても、大概の場合は批判することに傾注してしまう。
考えれば、無駄な労力だ。 重箱の隅を突っついてみても知れたことだ。こんな事に係累化したところでつまらない。

世の中には もっともっと素敵な事が有るハズであり、それを見つけることができずにいる自分が情けない。
情報源を変え、交際範囲を変え、自分自身を変え、考え方を変えて、これからの第二の青春に向かいたい。
特に、老人向けの情報を調べるのは御法度だね。 がっかりすることが多いよ。
お迎えが来る前に自死したのではマヌケなことだ。
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とは言うものの、大病を患って寝たきりになるとか、ボケるとか、を心配しながら何時お迎えが来るかを他力本願に気に掛けるよりは、自分の目標を定めて それを達成する時を定めて、目標達成をもって この世におさらばするという選択肢もあるな~  ヤバイのは、突然死だけということだ