最近、読書の時間が増えたせいか 文章表現ということを考えるようになった。
作者それぞれ、訳者それぞれに、情景描写や心理描写等 力点があるようだ。
また、読者の解釈に任せるように曖昧な書き方や、作者の思い入れたっぷりの押しつけがましい書き方もある。
俺の文章表現は、仕事人時代の商売柄なのか、またコンピュータかぶれの為なのか、後者に入るのだろうか。

文章表現と一言で言っても、内容は濃い。
俺が俳諧するブログでも、日常会話風の文章や、読者を意識したというか..作文風の文章やら、色々だ。


明治・大正の頃に日本で発表された "" という文学は日常の言葉では無い。
これは、西洋でも同じなのかも知れないが、翻訳された物しか読めないので判らない。
日常語では無い用語(単語) を連ねた文章で何かを表現するのは、"詩" 以外にも俳句など種類は多い。
また、それまでの日本語には無い用い方をしたり、新しい用語を作り出すこともある。
"詩" にもジャンルが有るようで、四行詩(四行連詩)や五行詩(五行連、五行歌)を目にすることが増えたが、俳句と異なり "季語を散りはめなければならない" という規定は無いらしい。
俺のようなハチャメチャ者としては、俳句だのと規制の多い文章よりは、川柳の方がわずらわしさが無く好みだ。

最近の若者言葉を眺めては「日本語になっていない」と嘆いてみるが、俺自身の日本語だって怪しいものだ。
俳句にしろ和歌にしろ、世に出た頃には新しい用語であったハズだ。 当時の年寄りも嘆いていたのだろう。
今では年寄りの嘆き節の種になっている "若者言葉" や "メール短縮語" も、50年も経てば標準的な日本語になる。 そもそも年寄りという者は何時の時代にも、自分の若かりし頃の育った記憶を頼りに過ごすだけなのかも..


色々な文章表現の仕方をもう一度読み直し、俺の文章を少しは直してみるのも老いの学習と思っている。


最近の大学生の卒業論文にはコピペと呼ぶパクリが多いのだそうだ。
ブログにも、同じ執筆者でありながら自分のブログの過去記事をコピペして 同じ内容を何度も書く人がいる。
一度注目された記事を再利用して、再び注目されることを狙っているのかも知れないが、閲覧者としては煩わしい。
"文字数だけは多くとも、新しい記事内容はほんの数行だけ" というブログには訪問する意欲が薄れる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ブログとは何だろうか? インターネットを利用して記録を公表するという行為の道具であることは間違いない。
ブログは、誰の為に書くのだろうか? 自分の為、閲覧者の為、コメントを得ることで仲間探しの為....

俺のこのブログは自分の忘備録 兼ボケ防止だが、小説風の文体にしてみるのも面白い。
大いに面白い.....これから試行錯誤してみることにしよう

関連過去記事
徘徊ブログ選びに思う
「ブログの書き方」考
沈黙の爺にブログ
論説調は止そう
SNS-子供ばかりじゃない