北海道、特に札幌には再三訪ねたが、初めて出張した時のことである。
飛行機嫌いとしては、東京駅-青森駅間を長距離列車で、青函連絡船に乗り、朝には札幌駅に到着するようにルート設定した。 青函連絡船に乗るのは、中学時代 春の修学旅行以来のことだった。

朝 札幌駅に到着する為には、深夜の青函連絡船に乗らなければならなかった。
冬場の北海道 (たしか、10月末頃?) ということで、青函連絡船内でシャワーを使い 下着から上着まで冬用の物に着替えた。 しかし、これが過ちの始まりだった。

青函連絡船から乗り継いだ北海道内の特急は暖房が効いており、我輩の身支度では暑過ぎたた。
やがて我慢しきれず薄物への着替えを試みるも、当時の特急車内は狭くて着替える為に手を伸ばすような我儘ができる状態では無かった。 特急の網棚から荷物を下ろすことすら、困難であった。

着替えすることもできず 汗まみれで到着した札幌駅は、降り立った途端に寒かった。
札幌支店に挨拶を済ませ、案内された琴似郵便局に程近い宿で着替える頃には すっかりと鼻水グスグス状態になっていた。

宿というのは、当社のOBが営む民宿だった。 
長逗留となるので我輩の懐を配慮してくれたのだろう。 また、OBに対し客を紹介することもあったのだろう。
荷物を置くなり札幌支店に戻り、夜は我輩の歓迎会に出席したが、鼻水グスグスの我輩は酒を飲める状態では無かった。

お世話になったのは昭和45年頃だったと記憶しているが...当時にはOBとなっていた民宿の老夫婦は、寒さに強いらしく、我輩の部屋には、炬燵をはじめ暖房器具と名が付く物が無かった。 朝・夕に食堂となる居間に 薪をくべるタイプのストーブが1個あるだけであった。 同宿の者がおらず、食事を済ませると トットと自部屋に戻り、寒さに耐えるのだ。 食堂にはテレビが無く、食事の後片付けを急かされるといつまでも食堂のストーブで温まる時間を過ごすわけにもいかなかったのだ。 自部屋は勿論テレビが無く、東京から持ってきたラジオだけが暇つぶしのネタだった。 札幌到着時には既に風邪惹き状態であった我輩は、部屋に戻っても寒くて寝つくことができなかった。
持参した衣類のすべてを着まくり、それでも寒くて眠ることができなかった。

翌朝は路線バスでの通勤となったが...バス車内は暑く、下車した途端に寒いという環境。
汗をかいては 濡れた下着で過ごす。 夜は寒い...という状況に、中耳炎を併発し病院通いするハメになっちまった。  結局は帰京する迄の1ヶ月間、風邪を惹きっぱなし。

OBの老妻さんが作る家庭料理は量が少なくお世辞にも美味く無く、社員食堂の昼食を楽しみにする日々に飽きて、滞在期間中に1度だけ夕食を居酒屋で食べただけの、寂しい出張であった。

しつこかった風邪は、帰京後、東京の環境と女将の手料理で、すぐに治ってしまった。

<< 悪行記 に戻る >>