死ぬという事を恐れない人は少ないのだろう。
俺は、"死" が怖いのだろうか。

"死" は、現在の環境 "生" とは異なるのであろう。 "死" は "無" なのだろうか。
宗教などでは、死後の世界が在ることを説く。
"生" の世界から "死" の世界に至る途中には、閻魔大王が生前の行いを裁くとも説く。
裁きの場で死後に住む世界が決められ、良い行いの者は極楽と呼ぶ天上界に暮らすとも説く。
一方で、輪廻転生の思想もあり、魂は動物や人間に姿を変えてこの世に何度も生まれ変わると説く。
WikiPedia:輪廻より抜粋引用
輪廻(りんね)は、ヴェーダ、仏典などに見られる用語で、人が何度も転生し、また動物なども含めた生類に生まれ変わること、また、そう考える思想のこと。
WikiPedia:転生より抜粋引用
転生(てんせい, てんしょう)とは、主に仏教において用いられる思想で、死後に別の存在として生まれ変わること。特に輪廻と区別はされていない。
生まれ変わった魂 (人) には、前世の記憶を持つものもあると聞く。
これは所詮は、生きている者の思いであり、死んだ者からは聞けることでは無い。 つまり真実なのかは判らない。
"生" と "死" が輪廻転生される世界は漫画「火の鳥」にも描かれているが、死ねない事も面倒だろう。

母は 老いた後に 「死ぬことは怖くない」 と言っていた。 強がりだったのかも知れないが、戦争体験者の言葉としては判らなくもない。 愉快な事が少ない現世で生きるより、素敵な事が多いと宗教が説く極楽に行けるかも知れない将来を望む言葉たったのかも知れない。


俺も還暦を過ぎた頃から、"生" への執着が薄れてきた気がする。 否、若い頃から無かったようにな気もする。
"死" に対する恐怖心が無いということではないが、"生" という環境から "死" の環境に引っ越すと思えば大したことではないだろう。 引っ越しを嫌い、同じ場所で 同じ生活を求める人には理解できないかも知れない事だが...

老後の生活や病気などを気に掛けながら、何歳まで生きられるかを心配するよりは、○○歳迄にやりたいことをやって目標を達成したなら自死するという方法も ひとつの人生の幕引きだ。
いつボケるか(?) と悩んでいるよりは、元気なうちに自分で消えるということだ。
「生きる為に食うか、食う為に生きるか」 なんて話題が大真面目に議論された時代もあったことを思い出す。
「食う為に生きている」 とも思いたくないが、俺の生き方はそれに近いような気がする。 "生きる目標" というか "何の為に生きる" とかが無い(判らない)。  "死"  という新しい環境が存在するのか否かは判らなくとも、"生" という現在の環境に拘らない。 勿論、新しい環境が無いのかも知れない事は承知し、「死んでしまえばハイそれまで」 なのかも知れないとも思うが、それはそれで悪くはないと思う。
とは言うものの、別に "死" を望んでいるという事では無い。 輪廻転生の結果なのかも知れないが、とにかく何かの縁で "生" を受けたということを喜びながら、天授を全うする所存だ。
自死が怖ければ、やたらと外出すればよいかもしれない。 望みが叶って、乗った飛行機が落ちるかも知れない。

こんなことを考えているうちに、ある日突然ボケてしまい..脳出血がおこり...自分では何もできなくなるのかな。
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【余談】
一般用語として "生前" と "死後" を用いるが、暇に任せて考えれば面白い意味不明な用語である。
"生前" とは、「生きる前」 と解される。 同様に "死後" とは 「死んだ後」 と解される、と思うのだが....
その解釈が正しければ、"生前" ⇒ "死前" 、"死後" ⇒ "生後" となるのかな
生きる前や死んだ後の世界を表す用語があるということは、その世界が既知なのかも...どうでもよいか...

ちなみに、輪廻転生の存在を認める社会では "前世" と "今世" と呼ぶとのことだ。
これから類推し、今世を中心として考えれば、今世から消滅する事を "死" と呼び更には今世の後の環境を "死後" と呼ぶのだろうか。
また、極楽に生まれ変わる前を "生前" と呼ぶのだろうか。