春になり、毎年恒例ではあるが女将の庭いじりが始まっている。
いつもの事とは思うものの、よくも飽きずに毎年のように続くものだと感心する。

俺は草花を眺めて愛でることは嫌いではないが、育成しようという気にはなれないでいる。
畑仕事も同様で、育った物を食べることは大好きだが、自分で育てることはしない。 要するに無精者なのだ。

その点で女将はマメなものである。
決まった時期になれば決まったように、種を撒き、苗を植える。
雨が少ないと言っては、水を上げるのに悲鳴をあげている。
腰部脊柱管狭窄症ではないか(?) と疑っている太腿のしびれに悩みながらも、「動けない草花が可哀想」 と言って水やりをする。 俺が代りに..と申し出ても、俺のやり方では粗雑なので草花が可哀想と却下される。

女将は小さな草花を好み、眼の悪い俺では踏んづけてしまうかもしれないので、春先の庭を歩かない方が無難かもしれない。 花が咲けば嫌でも目につくから、それまでは女将の仕事を遠くから眺めて冷やかすことにしている。


俺の親父も庭いじりが大好きであった。
どちらかと言えば、草花よりも木が好みであったらしく、池まで掘って鯉を飼い、周辺には松なぞを植えていた。
なにやらグチャグチャと植えられた木の根もとに草花を植えて、庭の体裁を整えていたつもりだったのだろう。
庭石を買ってきては、盆栽にまで手を出していたのだが、庭の隅には無農薬で畑やら蜜柑・キウイ迄植えるのだから、庭と呼ぶか畑と呼ぶかは定かな状態で無かった。

もともと草花を育てる事が好きだった女将は、そんな親父の手伝いを兼ねて庭仕事に参加し、親父が逝った後は柿や蜜柑等の選別のため木登りするような作業まで行っていた。
今の住まいを選ぶにあたっても、畑仕事までできるような田舎にするか、ある程度は便利な街にするか、を迷ったが折衷案のような当地となった。 しかし、畑仕事はせず、もっぱら庭いじりだ。


無精者の俺は、仕事人時代から周囲の人達から 庭いじりや畑仕事の楽しさを説かれるのだが、その気になれないで今に至ってしまった。 毎年の春頃は、何やら始めそうなことを口走るのだが、結局は何もせずにいる。
観察日記でも付けようかとも思うのだが、口だけの軟弱男はサッパリである。

こんな事を来春も思いながら過ごしているのだろうか。