出身地に近い為か(?)、何故か東北地方への出張は少ないのだが、仙台市は何度となく行った。
業務を仕切る立場になってからは最低でも年に2度は行った。 また、プライベートでも何度も行った。
その為、いつ行ったときのことか(?)記憶が定かで無いが、少なくとも30回近い仙台探訪記をまとめてみよう。

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初めて仙台に行ったのは高校時代である。 秋田から貸切バスで鳴子ダムを見学してからのことだ。
高校時代には、ヒッチハイク旅行や 東北一周旅行、登山の途中立ち寄りにも、東北の大都市である仙台は訪ねた。

社会人となって初めて降り立った仙台駅周辺は、高校時代のそれと変わっていなかった。
当時の国鉄仕様の駅舎を出ると、路面電車が走っていた。
夜は小さな居酒屋が立ち並び、塩釜漁港で水揚げされた珍しい海産物をツマミに地酒を堪能することができた。
隣の客の会話が聞こえる小さな居酒屋では客同士が親しくなるチャンスが多く、酔っ払い同士で 「これから、作並温泉に行こう」 とか 「塩釜に行って飲み直し」 なんて~ことがあった。

次に訪れた仙台駅は新幹線が開通する為にピカピカの駅になっていた。 駅前では地下鉄工事が行われていた。
道路に並んでいた小さな居酒屋の殆どがビルの中に収容され、代わりに居酒屋チェーン店の看板が目立つようになっていた。
東京でも食べられるようなツマミしか出ない居酒屋チェーン店では、牛タンなんちゅ~物が名物になっていた。
以前より牛タンは有ったようだが、我輩周辺の仙台市民は高級嗜好で 海産物を好み、東京から来た客人を牛タンなんて珍奇な物で もてなすことを恥ずかしいこととしていた。
我輩は牛タンという物が好きになれない。 あんな物を食すのなら、牛肉が良い。
牛タンの持ち主である牛の肉は、どこにいったのだ
そんな夜の街になっても、変わらないのは国分町である。



第二の人生を暮らす場所探しに 「愛子駅」や「北仙台駅」を訊ねたが、1年と経たずに東日本大震災が発生した。


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長崎出張でサボリ癖がついていたのだろうか(?)。 長崎から帰京してすぐに旅支度の荷物を入れ替え、女将と2人で仙台に飛び出し2~3泊した。