秋田市から上京し社会人となった頃の我輩の方言は もの凄いものであったらしい。
産れも育ちも秋田のお袋に 「おまえの秋田弁は、汚いね~」 と言われるのだから、かなりなものだったようだ。
お袋もそうだが、秋田弁と鹿角弁の混じり合った方言なのだから、よけいに理解しにくく汚かったのかも。
しかし、肝心の我輩自身が そのことに気づいていないのだから、始末が悪かった。

入社式を終え、配属された東京の事務所は中央区銀座に在った。
お決まりの自己紹介をした際、周囲から笑いが起こり、我輩の方言のせいなのだということが判った次第である。 (後日そのことを質問したら、何を話しているのか理解できなかったそうだ。)
これではイカン!!   と田舎者は奮起したということだ。

事務所内で30歳以下の者の人員構成を知れば、大半は東京以外の土地からの出稼ぎ者であり、東京出身者はたた1名だけ。 我輩は、その東京出身者(浅草生まれの浅草育ち) を目標にして、秋田弁を直すことを決意した。

言葉は 「イントネーション」・「単語」 と 「発音」 で成り立つと考えた。
「イントネーション」・「単語」は、記憶すれば良い。 問題は 「発音」 である...と考え、日々の通勤時に歩行中といい、電車内といい、「あいおえお かきくけこ ......」 を繰り返して練習した。
秋田弁というのは、口を大きく開かずに話すせいか(?)、口ごもって聞こえる。 いわゆる ズースー弁。
1年近くの練習が実り、その後の出張時等でも 東京育ちの人 と見られるようになることができた。
方言というものに関心を持った我輩は、出張時には土地の方言を覚え、それを話すことが得意芸だった。

東京支店で我輩と同期入社した者は (同じ職種で) 9名であった。 東京オリンピック迄は、その開催に向けてイケイケであり 50名程度の採用がなされたが、オリンピックが終わった我輩の時には採用人員数が絞られていた。
我輩は親父の希望もあって国家公務員を目指していたのだが、夏休み前に勤め先を決めたいと考え、その時期には採用内定する某社を受検することにした。その頃には既に横浜に家の新築工事が始ってり、勤務地は東京と決めていた。 これまでは東北地方が多かった就職斡旋先を関東地方にも増やしたい意向が有った学校にとって、我輩を東京に就職させることは渡りに舟というところだったようだ。 そんなことで、学校から某社東京支店に推薦することは我輩が初めてだったことも手伝って強いプッシュがなされたようで、無試験の面談当日に採用内定が決定した。 おかげで意気揚々と東北一周の登山旅行に出かけることができた。
後日受験した国家公務員試験にも合格したが、「某社に行け」という学校の強い指導で入社決定。
退職して考えてみると、正しいチョイスだったと思い直している。
内訳は、青森1名、岩手1名、埼玉1名、東京3名、鹿児島2名と我輩。
我輩が退職した 今から2年前に同期で会ったが (既に、2名は死亡、岩手・青森は退職済みで不参加) が、鹿児島出身者だけは方言が直っていなかった...というか、鹿児島弁に誇りを持ち、直すつもりが無いのだろう。

最近では江戸言葉山の手言葉を話せる人も少なくなり、地方出身の芸人達が用いる奇妙な言葉(方言??)が混じり合った標準語もどきがテレビ等で流れる(当地では、それが標準語と思ってる)ので、標準語を話せる者も少なくなっている。
そんな標準語もどきで話すならば 堂々と出身地域の方言で話したほうが良いと思うこの頃である。

ちなみに、「じわもん(地元の食材、ex.金沢野菜)」 を食べようと推進する 地域を愛して止まない当地の日常会話では堂々と加賀弁(金沢弁能登弁)が使われている。
よもやま話には それでよろしいのだが、病院の医者も加賀弁なので、異邦人としては つらい場面もある。
心臓手術の際に、「いんぎらーと」なんて言われても判らん!!    ※身体を楽にして、ゆったりとくつろぐ様
「寒いさけ、きんかんなまなまやろうし、気ぃつけて行きまっし」
「寒いから、道路の雪が凍ってつるつるになっているだろうから、気をつけて行きなさい」 (命令系)
これからは、金沢弁を学ばねば...