我輩は、自分を変わり者と思っている。 むしろ、偏屈と呼ぶべきか?!
なぜかと言えば、言葉に拘るからだ。 正確に言えば、言葉の意味というものに拘る。
そんな我輩に言わせれば、世の中は変わり者だらけだ。

ブログを書く人は、その人それぞれに意味を籠め、心を籠めて、言葉を選んで文章を綴っているのだろう。
しかし、自分が用いた言葉が、自分の思いと同じ意味で読む人に伝わってるとは限らない。
「おりがとう」 という言葉にも、この上も無い感謝を示している場合でも、普段の挨拶程度の場合でも、同様の記述である。
感謝という言葉を取り上げても、「感謝の同義語 - 類語辞典(シソーラス)」の説明・解釈だけでも多くの同義語が有ることが判る。 人それぞれに、「感謝の気持ち」 を伝える場合に用いる言葉は違うだろう。
感謝にはのように 見える区別が有ったら...面白い。  ※色名JIS慣用色名色名一覧

たとえば、と ひとことで言っても、人それぞれに想像する物が異なる。
新沼謙治氏が歌う【津軽恋女】の歌詞(作詞:久仁京介)の中には、津軽地方で呼ばれるには、こな雪・つぶ雪・わた雪・ざらめ雪・みず雪・かた雪・氷雪 の7種類が上げられている。   7種類のは勿論のこと、雪そのものを見たことが無い者にとっては何だろう??ということだ。

言葉の意味する事は、その人の 育った・住む・所属する組織 などの環境によって異なる。
特定の環境で、「ありがとう」 と言えば、その言葉の重み・意味することが理解できるだろう。 しかし、異なる環境の者では「ありがとう」 と言われても、その言葉の表すこと、伝えたかったことの 軽重が伝わらないこともある。
出雲弁では、「ありがとう」 という意味の言葉として「だんだん」 と言う。 しかし、「だんだん」 とは何じゃ!? という人もいるだろう。

ブログに綴られた言葉の意味をどのように理解するかは、読者次第である。
特定ブログの常連読者になれば、そのブログの筆者が用いる言葉の意味(癖)が判るだろう。
ブログに限らず、小説・随想 等も筆者が書きたかったことを読み解くことは難しいことだ。
しかし、楽しみでもある。
自分の綴る文章は、他人の頭の中で その人の言葉に置き換えられ、その人が解釈・理解する言葉に置き換えられ そして理解されている。 しかし、自分の心が、言いたいことが伝わっている訳では無い。
それでも世の中は、それで用が足りるということだ。
ちなみに、言葉遊びは好きだ。