Y.K.氏とは、自動車教習所で知り合った。
東京での勤め人となって間もなく 自動車運転免許を取得することになった。
運転免許を取得することは その会社に入る為の条件であり、「1.入社前に取得した場合は必要経費を支給」または「2.入社後に会社が教習所に通わせる」の何れかの選択肢があった。
後者を選択していた我輩は、駒場東大前での入社後訓練が終了後、教習所通いをはじめた。 昭和43年秋だ。
現在は東京都中央区晴海に晴海アイランドトリトンスクエアが建つ地は、当時 自動車教習所であった。
そこで教習生仲間となったのが Y.K.氏である。

東京駅八重洲地下街に勤め、産れも育ちも横浜っこというY.K.氏と、東京初体験の我輩は、何故か友達付き合いをすることになった。
銀座・青山辺りの夜を遊びまわっていた。
新宿なんて~ところは、今では新宿副都心なんて立派な名前で呼ばれるが、当時は淀橋浄水場の草っ原と新宿コマ劇場を取り巻く繁華街があるだけのつまらない場所だった。 渋谷や池袋も新宿同様のいかがわしい繁華街があるだけだった。 六本木は、今でこそ再開発が行われた為に近代ビルが乱立する地域だが、六本木族なんて~人種が増える以前は外国人向けの商店や飲食店と陸上自衛隊駐屯地が目につく程度の寂しい場所だった。

六本木ヒルズの建つ前 (三浦友和氏vs山口百恵氏 が結構式を挙げた教会の在る頃)
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そんなことから、真っ当な不良少年は銀座・赤坂・青山が遊び場だった。、
藤本義一氏が「11PM」の司会をしていた頃にアシスタントをしていた真理アンヌ氏や妹氏は、同時期に自動車教習所通いし何度か遊び歩いた。

安い給料でそんな暮らしをしていた為、金に困ると当時は西銀座駐車場に勤めていた親父に無心した。
互いの自宅に泊まることもあったが、Y.K.氏と付き合いはじめて2年ほど経ったころ、当時の遊び場だった目黒の女性とY.K.氏が同棲状態となり、我輩も結婚という運びとなり...それがY.K.氏との別れになった。