親父はカメラが好きだった。 
1932年(昭和7年)に起きた、東京日本橋の白木屋デパートの大火事を撮影した写真が有ったから、いつごろからカメラを所持していたのだろうか??
警視庁消防部(現在の東京消防庁の前身)に勤務した頃に買ったというツァイス(コンタックス)の蛇腹式カメラを愛用しており、俺が中学校位までは触らせてもらえなかった。
消防車の運転手であり、カメラ撮影もできた親父は、2度にわたる出兵も司令部付きだったという。
戦争中の写真を多数保管していたが、親父の葬儀後お袋が焼却してしまった。 惜しいことをしたものだ。

そんな親父は、家族の写真もよく撮った。 俺の成長記や、お袋、そして身内の写真など等。

お袋は 「写真を撮られると魂も盗られる」 という話を信じたわけでは無いらしいが、俺が物心ついてからの写真は少ない。 俺が就職する際に2人並んで親父に撮ってもらったのが、当人の参加意思で撮られた最後である。
50代は嫌々ながらでも撮られていたが、60代を過ぎる頃からはカメラを向けると顔を隠すようになった。
お袋の葬儀の際、映っている写真を探すのが大変だった。

カメラに映ることを嫌うようになった頃から、自分達の部屋にある鏡以外の鏡の前に立つことも減ったようだ。
自分用の鏡以外に映る自分の顔が嫌だったのだろうか??

は、その品質の良し悪しで 映り方が違う。 明るい鏡・暗い鏡、千差万別である。
たかが鏡、されど鏡である。
世の中には、うぬぼれ鏡という物が有るらしい。
今どき、プリクラで写真を撮れば目鼻立ちを補正してくれるという。
そんなことをしなくても、高くても お気に入りの うぬぼれ鏡を買って、楽しい毎日を過ごしたいものだ

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