今になれば「敬愛する」とか、「尊敬する」とか、白々しく言えるのだが、子供の頃は「とにかく怖く」、青年になってからは「嫌な存在」でしかなかった親父であった。
男は、たいがいは親父という存在は煙ったいのだろう。

2度の徴兵を受け支那事変インパール作戦に行き、顎には機関銃の弾が貫通したという傷跡があった。

明治の男らしく、家庭で会話をした記憶がない。当時の堀炬燵の中で足が触るだけでびくびくするほどに怖かった。
それでも、新しいメカが好きだったらしく、トランジスターラジオを買っていた。(もっとも、死ぬまで1台だけ)

50歳で定年退職し、秋田から横浜に転居した。 120坪ほどの自宅は、バブル時代には1億円以上の値がついた。

色々と先見の明があったのだろう。

百歳まで生きると言いながら、93歳で旅立った。 あなたには追い付けないな~

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明日は雨水。雪が溶け始める頃という。 当地も久しぶりに晴れとの天気予報。
20160218
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