『塞翁が馬』の故事を好んで例える人がいる。 「wikt:塞翁が馬」によれば
一時の幸・不幸は、それを原因として、すぐに逆の立場に変わりうるのであって、軽率に一喜一憂すべきではないということ。「人間万事塞翁が馬」、「万事塞翁が馬」とも。
如何にも納得するような話なのだが、俺的にはむしろ『原因有っての結果』という考えだろうか。
アリとキリギリス”の寓話のような出来事が多いが、俺はキリギリスに同情しない。
夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるために働き続け、キリギリスはバイオリンを弾き、歌を歌って過ごす。
やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに乞い、食べ物を分けてもらおうとするが、アリは「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と食べ物を分けることを拒否し、キリギリスは飢え死んでしまう。

 女将は、『お互いさま』的な考えが多いと見ている。
小公女』のヒロインのような感性で、“施しは輪廻する”とでも例えれば判り易いのだろうか。
幸も不幸も相互に廻っているのだが、たまたま自分が生きている間には不幸しか巡り合わせることがなかった。しかし、その時々に“自分ができる事”をしておけば、いつかは“それが自分にしてもらえる”とでもいうことだろうか。 芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』の世界にも通じるのだろうか。
 俺は女将のように輪廻を信じない。 “死ねばそれっきり”という考えだ。
生まれ変わった時や、現存世界でも、未来の見返りを期待して施しをしようという考えはない。
“探し求めた青い鳥は、自宅にいる”のかもしれない。 また、“幸と不幸”は裏返しだ。

“病気になる事を幸せ”とは思えないが、“病気になったことで経験する環境”を味わえるのは幸せなのかもしれない。 要するに、自らを不幸と考えることはよろしくない...ということだろう。

 昨日(05/13)は、メイストームデーという和製英語の(知る人ぞ知る)記念日なそうだ。
バレンタインデーから88日目、「八十八夜の別れ霜」という言葉にちなみ、別れ話を切り出すのに最適とされる日。
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