1973年(昭和48年)、同期入社した NM の結婚式の司会として鹿児島に行った。
1968年(昭和43年)に東京支店に同期入社した者は、NM、YY、SN、AY、SI、S?、MY、HY、私、の9名と、それまでのオリンピック景気採用時の1/8程度であった。 9名の内、4名が結婚式に参列することとなった。 
当初は4名でカーフェリーで行く計画だったが、台風来襲の天気予報があり、司会のおいらが到着しなくてはマズイという。 結局、おいらは夜行寝台で、他の3名が別府迄カーフェリーで行くこととした。

夜行列車には付き物の酒と、女将自慢のツマミ持参で寝台車に乗り込む。
寝台車と言えば聞こえが良いのだが、安月給の頃のこと、3段ベットの最上部が指定席であった。
既に酔っぱらって乗車した列車が動き出す頃にはベットで爆睡し、目覚めた時には呉駅を通過した頃だったろうか...暗がりに燃える工場群の焔が美しい。
やがて明るくなり寝台がたたまれた頃、山口県の某駅から子連れの女性が乗り合わせた。
聞けば、遠洋航路に乗船している旦那が、鹿児島港に停泊することになったので面会に行くのだそうだ。

寝台特急の終着駅(鹿児島中央駅か?) まで迎えに来てくれたNM の車で、自宅に向かう。
到着迄かなりな時間が掛ったが、自宅は川内(せんだい) だったようだ。
司会者到着ということで、NM の家族に大歓迎されて自宅入り。
親父さんが沸かしてくれた五右衛門風呂で寝台車の汗を流し、ズイキの煮物をツマミに飲んだビールの美味い事。
手水場は、母屋の別棟に在り、下には跳ね避けに竹の葉を敷かれていた。 秋田なら杉の葉なのだが..
翌日は無事に台風を乗り切り到着したカーフェリー組を向えて、結婚式場の下見。 
そして翌々日の本番を済ませて、またまた大宴会である。
明けて4日目は完璧な二日酔い状態でNM の家を後にし、九州観光に向かうことになった。
現在なら、酒気帯び運転で逮捕間違いない。 後日談によれば、1人当たり焼酎を1升は飲んだとの事だ。

鹿児島が実家のHYを残し、YY、SNとの3人で熊本に。 第1目的地はYYの妻実家が有る壁湯温泉
阿蘇山 ⇒ 天草 ⇒ 長崎 ⇒ 別府 を周遊し、カーフェリーにて帰郷。 
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9名の同期入社中
  • MYは、自爆交通事故で死去。
  • S?は、入社の翌年に希望退職。退職後、広島で再就職したらしい。
  • AYは、58歳で上司と喧嘩して故郷の青森に帰郷し、連絡取れず。離婚したきり。
  • YYは、2度の結婚をし、現在は円満そう。心臓悪し。再就職?
  • HYは、年齢は1つ上だが、虚弱体質の為学年落ち。再就職?
  • SIは、連れ合いにガンで先立たれたが、再婚。悠々自適生活の模様。
  • SNは、入社後数年に希望退職し、元気そう。
  • NMは、元気そう。再就職?