おいらの人生観と言えば大げさだが、生き方と言うものは 「ケ・セラ・セラ」 であった。
刹那主義と言ってもよいかもしれない。 
明日は明日の風が吹く という感じで、宵越しの金を持つ工夫なぞしない生活をしていた。
当然ながら、明日にとか、将来に備えるということなぞ、考えもしなかった。

女将も似たような性質だが、こと安全面に関する準備をすることには留意していたようだ。
そんな2人が半世紀を共に暮らし、現在の我が家は、安全面は完璧に近いだろう。
警視庁からお墨付きを貰えるような防備体制を行った。
表札の文字は平仮名とした。 塀は跨げない高さ(1.2m) とし金網状の宅地内が丸見えの物を設置。 etc.
警備はセコムに依頼し、老後の事にも対応。 転居するなり、新築の家中の盗聴装置有無を検査。 etc.

東京圏で自宅を設けた場合は、塀を設置することが一般的であろう。
自敷地内のテリトリーを明確にすることに併せて、敷地内に他者が侵入することを防止する為である。
「別に自分の敷地に他者が入っても良いじゃないか」 という声があるが、自敷地内で他者が怪我等をした場合は敷地の所有者が管理不十分として罪に問われる場合があることを承知しているのだろうか。
敷地内に限らず、自宅内に招いた子供に与えた食物が原因で病気になった場合は、招いた者に罪が及ぶ場合があることを承知しているのだろうか。 塀は、自己の管理エリアを明確化する物理的な方法のひとつだろう。

都会では、外出する際に施錠することは常識であろう。
ちょっとソコ迄ゴミ捨てに行くような短い時間であっても、用心深い(疑い深い..とも言う) 者は施錠する。
田舎になるほど、施錠する癖は無いようだ。
それはそれで、本来は望ましいことなのだろう。ご近所さんは皆気心が知れ、施錠などしなくても安心な事が1番だ。
しかし、最近の世の中は そうでは無い。 車さえ有れば、見知らぬ人が身近にいる。
  • 地震災害等に恐怖を感じながら、転居することをしない。
  • 高速バスの事故があっても、それに乗ることを止めない。
  • 登山者が雪崩に巻き込まれても、山に行くことを止めない。
  • 何でも鑑定団に出品する人達は、物知りの私が選んだ物こそは本物・高額と信じて止まない。 etc.
すべて、自分は大丈夫という根拠の無い楽観主義からくることではないだろうか
勤め人時代のおいらは、暇な時、否 時間を割いてでも関係連絡先は携帯電話に登録しておいた。
その為、停電になっても電話番号を知ることができた。 しかし、携帯電話に登録するわずかな手間を惜しむ者が多い。
パソコン操作方法でも、年金制度でも、尻に火が付かないと学ばない者が多い。
すべては、転ばぬ先の杖が必要と考える。
「そんなことを心配していたのでは、何もできないし、住む場所が無い」 と言う人も多いだろう。
おいらも、昔はそう思っていた。 否、今でも本心はそうなのかも知れない。
しかし、自分が鉄腕アトムでは無かったことを知り、我が身は自分で守るしか無いことを知るにつれ、自分の始末は自分で行うことを心掛けている。  「ケ・セラ・セラ」 は、なりを潜めているというところだ。
命テンデンコ

自分は大丈夫と思う人は、好きにすれば良いことだ。
しかし、その自分に何かがあっても、助けてもらうことを期待しないで欲しい。
常日頃から、明日の自分を救う為の知識を得て、それを実践する努力を重ねたいものだ。