品川の東京支店にいた頃はOAを担当していた為、他の担当では少なかった女性の派遣社員が居た。
ある時の派遣女子は、大学を卒業したばかりのピッカピカの世間知らずだった。 名前は忘れたが、N子としよう。

N子は、パソコンを用いた業務に関することは それなりに知識は有るものの、社会的なことには窮めて疎い。
それでも、酒を飲む雰囲気が好きだったのか、誘われれば、否、誘われなくとも 飲酒の場にはよく来ていた。
その為、女っ気の無い職場の若い者には頻繁に誘われていたらしい。
若い者と付き合っていれば良いものを、何故か親子ほどに年の離れた俺が酒を飲みに行く場合には、これを優先して着いて来る。 結婚を目的にして派遣社員勤めをしたわけではなかったようだ。
邪魔とも言えず、汚い居酒屋でよく飲んだものだった。 居酒屋はアイルランドのパブに似た雰囲気なそうだ。
当時は品川でパート勤めをしていた俺の女将も可愛がって、数度同席してくれた。 別に監視の為では無い。当時の俺は既に糖尿病で、人畜無害なのだから。
N子は、酒を飲む雰囲気は好きだったようだが、酒そのものに強いわけでは無く、少しの酒でよく居眠りをしていた。
ある休日の早朝に 俺の携帯が鳴り、話を聞くと築地警察とのこと。 前日の深夜、酔っぱらった女性を保護したところ 俺の名刺を所持しているとのことでグチャグチャと職質された末に、引き取りに来いとのこと。

そんなN子がある日言うには 「アイルランドに行きたい」 とのこと。
アイルランドなんて国は、おとぎ話に聞く程度の知識しか無いので聞き流していたところ、語学留学することを決めたので退職したいとのこと。 てなことで、ジタバタと、あっという間にアイルランドに行っちまった。

退職してアイルランドでおとなしく過ごしてくれれば良いものを、俺の自宅に国際便が届くようになった。
返事を出すにしても国際便なんちゅ~物を出したことの無い俺は、誠にオタオタしてしまった。
そうこうしているうちに、e-mailを使いたいとの話になった。 
アイルランドの大学サーバーを通じてe-mail送受信の設定は比較的簡単だったが、アイルランドのパソコンでは日本語を表示できない。 色々と手を尽くしたが日本語フォントが入手できず、結局はローマ字でのe-mailとなった。
それ以外にも、N子には使いまわされた。
親が携帯電話を紛失したので新しい携帯を買う手伝いをしてくれ等とのe-mailで、母親とも御面会した。
北総線沿いの矢切りの渡し付近まで、携帯を届けに行ったこともある。
そんなN子からのe-mailで、アフリカに行くとのこと。 アイルランドの大学で知り合った友人の国に行くとのこと。
アクティブなことである。 半年ほどアフリカ暮らしをした後、またアイルランドの大学に戻った。
パブ・バーとやらで、楽しげにビールを飲む写真が届いていた。
そんなこんなしている内に、我が家にはアイランドから届く絵葉書や土産物が転がっている状態になってしまった。

数年が経ち、池袋が勤務地となっていた俺の携帯にN子から電話が掛かり、帰国したと言う。
品川時代の仲間を掻き集めて帰国祝いとなったが、以来N子との音信は無いままに20年程になる。
思えばN子も アラ4 の年頃だ。 おおよそ当時の俺の年回りとなり、子供がアイルランドに行きたいと言い出しているのかも知れない。 それとも、N子共々国外でくらしているのだろうか。

俺は、長年暮らした東京を捨て 故郷の秋田も捨てて当地に来た際に、それ迄の住所録を全て処分した。
向後の人生で、これまでにお付き合いした人達とは2度と接しない決意をしたからだ。
勿論、N子の住所など知るよしが無い。 しかし、アイルランドへの旅行番組を見ると懐かしく思い出される。

今では“アイルランド”に関する情報サイトも多い。 アイルランド政府観光庁
1分世界遺産 44 ブルー・ナ・ボーニャ アイルランド