秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)で暮らしていた小学校低学年の頃、俺の床屋さんは親父だった。
住居が町から離れていた為、理髪店までは遠かったこともあるだろうが、節約することが目的だったのだろうか。
物心がついた頃の記憶では、丸刈り用のバリカンしか無かったが、いつの間にか前髪を切る為のハサミが増えていた。 後日談では、戦地で上官の散髪をしていたというから、ソコソコの腕前だったのだろうか。
近所の子供達も親父の床屋で散髪していたから、休日には忙しかったようだ。

秋田市に転校し、中学校の頃までは親父が床屋さんだったが...何時から町の理髪店に変わったのか(?)記憶していない。

就職して上京してからは近所の理髪店を利用していた。
少し黙って仕事に励んで欲しいと思うような話し好きの店主と修行中の若い衆がいる店で、理髪店とはそうしたものだと思っていた。 近所の理髪店以外でも、利用した理髪店は似たような店構えであった。
何時の頃からか(?)、そのような理髪店以外にも新橋の駅前等の繁華な場所では、“髭剃りナシ”や“洗髪ナシ”で短時間で床屋ができる店舗(理髪屋チェーン)が増えていた。 しかし、そのような店舗を利用する事は無かった。

退職が近づいた数年は、それまでの横浜市の金沢文庫から大船に転居した為、馴染みの理髪店から遠のいた。
その為、会社のそばの床屋か、理髪屋チェーンを利用する場面が増えた。
「腕が悪いのでは?」と思い込んでいた理髪屋チェーンだったが、洒落る事を意識している年頃ならば兎も角、退職間際の坊主頭が行くには十分な腕前と設備があることを知った次第である。

当地野々市市では、“町の理髪店”もあるが、“理髪屋チェーン”のほうが幅を効かせているようだ。
また、余所者としては、色々と身辺調査を問いただされるよりは、通りすがりのようにして行ける“理髪屋チェーン”のほうが気が楽だと思い、転居以来の4年は“理髪屋チェーン”のお世話になっている。

個人的な事を問いたださないという姿勢は見込みどおりで嬉しいのだが、流石に4年も通うと、店員や客にも馴染みができてきた。 大半の客は通りすがりのようだが、馴染み客は俺よりも先輩と見受ける爺が多い。
俺と同様に、古くは“自宅で孫子の床屋”をしているような者が、それを放棄して自らも外で散髪してもらっている。

こんなところにも、変わりつつある家族のあり方というものが見え隠れするのだろうか。