子供の頃、 親父がを作ってくれたことがある。
当時住んでいた秋田県鹿角郡には、真竹孟宗竹のように凧作りに向いた竹が生えず、笹竹で作った。
おいらとしては、奴凧が欲しかったのだが、作ってくれた物は日本風の四角な凧であった。
笹竹では、曲げ加工が大変だったのだろう。 できあがった物は、見かけは立派で、揚がりそうだった。

凧に張った紙には障子紙以外には和紙が無かったのだが、幅の限られた障子紙を張り終えてから文字を書くしか方法が無かった為、骨の部分だけが目立つ文字となってしまった。
親父は達筆であり、事務所開きの看板や、表彰状等の書記を任じられていたのだが、凧の表書きは苦手だったということか。
できあがった凧は近所の空き地でを揚げたのだが、(後日その地を訪ねてみた) よくぞあの狭い場所で(?) と思う。

凧の足(尻尾) には新聞紙を刻んで利用したが、当時の粗雑な新聞紙では すぐにちぎれてしまった。
それでも、「調子を見てやる」 という親父の言いつけで、おいらは凧を抑えている役目であった。
なかなか揚がらない凧と、だんだんと短くなる凧の足にジタバタとしなから、「おらにも揚げさせてけろ~」 とグズったのだが、最後の最後になるまで凧の糸を持たせてもらえなかった。 ちなみに、親父お手製の立派な糸巻だった。
ちぎれた足は重しの役目をせず、頭を下にしてズルズルと引きずっているうちに、哀れな凧になってしまった。

なにやら忙しい親父に何かを作ってもらった記憶は、その凧が最後だった。 今日は、こどもの日なそうだ。
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WikiPedia:こどもの日より引用
祝日法2条によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨。
ということだが、もうじき また母の日だけ来るのは、不公平だね
WikiPedia:母の日より引用  ※5月第2日曜日
日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。
WikiPedia:父の日より引用  ※6月第3日曜日
アメリカの女性が、男手1つで自分を育て亡くなった父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。
WikiPedia:敬老の日より引用  ※9月第3月曜日
祝日法第2条によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことが趣旨。
WikiPedia:成人の日より引用 ※1月第2月曜日
祝日第2条によれば、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことが趣旨。


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