臆病者の俺は、2015/11/26に左目の硝子体手術を見送った。 
見送って間もない頃は「近いうちに手術を受けなければマズイだろう」と思い、眼の手術先に迷っていたのだが、既に5ヶ月が経とうとしている。 出血して間もない時期のように“眼球内に血が沢山”という状態では無くなっているので、殊更に慌てて手術をしなければならないという切迫感が無い。また、可能な限り、やりたくないと思ってる。
手術して眼だけは良くなっても、心臓でポックリとか、認知症になるとか...考えれば、無駄な工程かも。

硝子体手術はそれなりに大事(おおごと)と認識しているが、世の中的に“白内障の手術”は簡単と言われている。
しかし、それでも「怖がる人は怖がる」ということだ。 著書『後妻白書 幸せをさがす女たち』が話題のノンフィクション作家・工藤美代子氏もそんな一人のようで、氏の体験談記事を読んで「我が意を得たり」とニンマリする。
手術の上手な医師であるにこしたことは無いが、腕の良し悪しよりも、患者に与える安心感の方が大事だろう。
工藤氏は白内障用の眼内レンズとして単焦点を用いた様子だが、施術前に研究することがなかったようだ。
結果として眼鏡のお世話になっている模様也。

 俺も硝子体手術の要否はおいても、ソロソロ眼鏡の度数を変更しないとパソコン作業が辛くなってきた。

松田聖子氏は1962年3月10日生まれというが、眼鏡屋(眼鏡市場 = メガネトップ)の宣伝に出演している。
俺は現在の眼科医の世話になりだした4年前に5個作ったが、あの眼鏡屋は腕が悪いから聖子ちゃんの店にしよう。

【眼鏡市場CM】新しいメガネ欲しいなぁと思ったら篇/松田聖子(30秒)

眼鏡市場CMチャンネルより


【眼鏡市場CM】真夏のサングラス篇(30秒)/松田聖子



五十代でおよそ半数が発症するという白内障は、万が一悪化しても、“日帰り”手術で“簡単”に“すぐ治る”──。そう気楽に考えている人も多いだろう。し かし、手術後、いつまでも違和感が拭えずにいる人も実は少なくない。著書『後妻白書 幸せをさがす女たち』が話題のノンフィクション作家・工藤美代子さんもその一人。三月に両眼を手術したばかりの工藤さんが、自らの体験を綴った。(第一 回、全三回)

 * * *
◆視力が落ちてゴキブリのような黒い塊が視界を横切り始めた◆

 世間では「白内障の手術なんて簡単よ」と言う人が圧倒的に多い。私の知人で手術をした女性たちは異口同音に「あっという間に終わった。だって日帰りだし、別に痛くもないし」と口を揃える。ふむ、そんなものか。それなら眼科に行ってみようと決心したのが二月の末だった。

 実は『後妻白書』という連載を『女性セブン』に書いていた頃、毎週のように後妻さんに取材でお会いしていた。その中の一人だった桃子さんが、ある日、決然とした表情で断言した。

「これだけ医学が進歩したんですもの、人間は古くなった身体のパーツを取り替えて生きていけばいいのよ」

 なるほど、六十歳を過ぎてから二十歳も年上の人の後妻になった女性は言うことが違う。私にはまったくなかった発想だった。

「そうねえ、パーツのチェンジもいいけど、古いパーツのメンテも重要よ」と思慮深そうに意見を述べたのは、同席していた真由美さんだ。

 真由美さんは常識を代表するような人で、考えてみれば、お見合いで結婚した旦那さんともう四十五年も一緒に暮らしている。夫もしっかりメンテしているが、桃子さんは新しい夫を入手した。人生のパーツを取り替えたのと同じか。

 この時期、私は視力がどんどん落ちていた。日中でも薄暗く感じて眼が常にかすむ。さらに飛蚊症もひどくて、以前は文字通り蚊が何匹か飛ぶのが見えたが、 今はゴキブリのような黒い塊がしょっちゅう視界を横切る。あまり気分の良いものではない。誰に話しても「それは白内障でしょ」と言われ、手術を勧められ た。

 そもそも白内障とは、加齢とともに眼の中の水晶体が白く濁り、視力が落ちる病気だ。昔は「白そこひ」と呼ばれて、外目にも瞳が白く濁っているのがわかる 老人がいた。今はあまり見掛けなくなったのは、さっさと手術をするからだろう。古くなって機能を果たさなくなった水晶体を超音波で砕いて、吸引する。その 後に折りたたんだレンズを挿入すると自然に開くらしい。

 私の生活はパソコンに向かって原稿やメールを書いたりする時間が長い。これ以上、パソコンの画面がまぶしくて、しかもかすんで、しょっちゅうゴキブリが通り過ぎるとなると、とても仕事にはならない。

 よし、白内障を退治してやるぞと、決意のほどを語ったら、知人が「ほんとに優しくて腕のいい先生がいる。術後の心配なんて何もない」と折り紙つきの著名なクリニックを知らせてくれたので、そこを訪ねた。

◆「手術はたった五分で終わる」との認識が広がっているけれど◆

 今になると少し軽率だったかと思う。私の期待と手術の結果との間には、ある種の「ズレ」が存在した。これまで使って慣れ親しんでいた自然のレンズを人工のものに取り換えるのだから、当然といえば当然だ。

 さらに人工のレンズが入ったために視力は当然のように異質のものとなる。見える見えないのレベルではなく、見え方が変わるのである。その変化に頭の中がついていけなくなり混乱、動揺、不安などを強く意識した。

 でも、そうした部分はあまり語られず、はなはだしい場合は「たった五分で終わる白内障手術」といった紹介のされ方をする。失敗のない手術が白内障だという認識が日本中に広くいきわたっている。

 私もそう思い込んでいた。何しろ『後妻白書』を書き終わったばかりである。女性が女性でいられる時間が近年になって飛躍的に延びた。六十代や七十代でも 恋をして再婚をする時代が到来している。そうなると桃子さんの言葉ではないが、身体のパーツを取り替えるのは、もはや常識だろう。

 ところが「落とし穴」があった。実際に手術を受けてみると、そんなに簡単なものではなかった。いったい何が問題だったのか。

 私は三月十八日に左、二十五日に右の眼の手術を受けた。クリニックは驚くほどモダンで最新の機械が装備されている。受付も若い美女が並んでいて、敬語で の対応だ。手術に関する説明は、男性のスタッフが流れるような口調で明快に語ってくれる。さかんにうなずいている私は、すっかりすべてがわかったような気 分になった。

 これが曲者なのだ。だって、たった一回の説明で、すでに老化し始めている私の脳が、手術の手順からメリット、デメリット、その後の治療などを理解できる はずがない。私が情報として消化したのは、手術そのものに要する時間は二十分か三十分くらいであるが、その前後も含めて二時間半ほど予定しておいて欲しい ということ。

 入院する必要はない。術後は帰宅して安静にしていなければならないが、翌朝になったらまたクリニックで検診してもらい、眼帯が外れてもう眼は見える。すぐに視力は回復しないが、人によっては、その瞬間から良くなっていると実感する患者もいる。

 ざっと記すと、これくらいの情報しか私の頭には入らなかった。

 私は異常に緊張していたらしく、手術中は何度も「力を抜いて」と医師に声を掛けられた。どのくらいの時間がかかったかは知らない。だが、とにかく長く感 じられ、終わったときは意識が途切れそうなほど疲れていた。「あっという間に終わるってみんなが言ったのに」と腹立たしさを感じた。

 さらに、私の両眼は裸眼で〇・〇六の視力しかない。それで左眼に眼帯をつけて、眼鏡をかけられなかったら、何も見えない。手術室を出て、受付まで歩くのも怖かった。
(第二回に続く)

※女性セブン2016年5月5日号

◆患者の期待と現実の間にギャップが出来るのはなぜか

 次の手術までの一週間は悲惨だった。左眼は手術のお陰でどんどん見えるようになる。ところが右眼は相変わらず〇・〇六だから、なんともバランスが悪い。パソコンの画面もテレビも新聞も、すべて見えない。

 三年ほど前に亡くなった私の兄は幼い頃から全盲だった。初めて兄の気持ちがわかったような気がした。眼が不自由だと、こんなにもイライラするものか。いったい私の眼は普通に見えるようになるのだろうか。

 左眼の一週間後には右眼を手術した。翌日の検診では順調に両眼ともに回復していると診断された。実際、夫の顔が手術前と違ってはっきりと見え、思わず夫に「その顔のシミ、どうしたの?」と言ってしまったほどだ。が、時間が経つにつれ、どうにも腑に落ちなくなっていった。

 まず、眼がしょっちゅうゴロゴロしている。ときどきズキズキと痛む。ゴキブリほど大きくはないが蚊がまた飛び始めた。なぜか術後の方が、眼がしょぼしょぼして辛い。これまで見えていた近くのものが、ぼんやりとしか見えない。白い光の輪が浮かんだり、太陽が眩しい。

 えっ、いったいどうしたんだろう?と考え込んだ。友人たちは術後も特に問題はないと言っていた。でも待てよ。友人といったって、たった四人ほどに聞いただけだ。もしかして手術の失敗だってないとは限らない。

 不安で夜も眠れなくなった。眼は私にとって商売道具だ。このままの症状が続いたら、とても原稿は書けない。

 本来なら、手術を執刀してくれた医師に尋ねてみれば良いのだが、そのクリニックには患者が何か質問するのをためらわせるような雰囲気があった。医師は親 切だし、優秀だと思うが、何しろクリニックは大繁盛で、たくさんの患者が門前市をなしている。くどくどと医師に質問していては、他の患者の迷惑になる。と いって、看護師や男性スタッフたちは、疑問点を尋ねると露骨に不快な表情をした。マニュアル通りの説明以外の返答は、避けようという姿勢なのが、はっきり とわかる。

 それならば、気持ちよく疑問に答えてくれる眼科に行ってみたいと考え、思い出したのが旧知の堤篤子先生のことだった。

 練馬区で「つつみ眼科クリニック」を開業している優秀な女性だ。アポを取って訪ねたのは先週の水曜日だった。

 まずは眼のチェックを入念にしてもらった。

「きれいにレンズは入っています。表面に傷もないですね」

 そう言われただけで、ほっと肩の力が抜ける。眼底検査、視力の測定をし、モニターで手術後の眼を見せてもらった。

 堤先生によると「遠くが〇・六、七で、近くがぐっと見えると患者さまは思われるかもしれませんが、それはちょっと違います」。

 私が手術をする前にクリニックに頼んだのは、すごく遠くまで見えなくても良いので、スーパーで品物の値札が読めるくらいにして下さいということだった。

 だが、なかなかそうはうまくいかないらしい。老眼年齢の私は、値札が見えるようにまである程度見えるようにすると、遠くはずいぶん見えなくなる。おそらく〇・一から〇・二くらいしか見えないらしい。だから患者の期待と現実の間にギャップが出来る。

 私の場合もまさにそうだった。ずっと近眼だったので遠くは〇・一くらいしか見えないが、近くのものは裸眼でしっかり見える状態に慣れていた。ところが術後は眼鏡をかけなければ何も見えない。その変化に、まずはうろたえた。

 飛蚊症に関しては、白内障の手術をしたら、レンズが透明なものに代わったので、光が奥まで入るようになって、奥にあるゴミがよく見える。したがって蚊が飛ぶのはしょうがないことらしい。

 眼のゴロゴロ感は、やはり手術で切っているので感じるのは当然だし、しょぼしょぼするのはドライアイのためもあるという。

 たしかに、その後、両眼尻の端に細い紙をぶらさげて五分間じっと待つ検査(シルマーテスト)をしてもらったら、私の涙の量は普通の人よりずっと少なくて、まぎれもなくドライアイだった。

「今の時代はすごく眼が乾く環境にあるので、白内障手術を契機にドライアイがわかる方が多いです」

 私は多くの時間をパソコンと向き合っている。若い人ほどではないがスマホを見る時間も長い。ドライアイが、実はしょぼしょぼの原因だったかと、ようやく合点がいった。

 実際、堤先生の眼科でドライアイ用の目薬を出してもらって定期的に両眼にさしていたら、症状はずっと軽減した。なにより理由がわかったために安心して仕事を始められて、原稿を書く効率も上がった。

 つまりは、人間の身体の不調というのは、その原因がわからないときが最も不幸なのだろう。現状をきちんと把握して、治療方法を示してもらえたら、それだけで、もう半分以上の辛さは消えてしまう。

※女性セブン2016年5月5日号

◆大事なことは満足がいく度数をどういうふうに合わせるか

 ここではたと気づいたのは、やはり患者と医師のコミュニケーションの大切さだった。執刀はどんな感じなのか。所用時間は患者によって違うのだから、いち がいに五分とか十分とかは言えないし、長くかかったから失敗ということもない。術後はどんなふうに変わるのか。個人差もあるだろうから、じっくりと、症状 を教えて欲しい。

 患者としての私はそう思うが、堤先生によると、あまりに複雑な説明をしても患者はすべてを憶えてはいない。どんな眼科でも、丁寧に説明はしているはずだが、後から不満を述べる患者が多い。

 私の場合は単焦点のレンズを入れた。これは保険が適用されて、三割負担だと片眼が四万五千円くらいだった。

 ところが、眼鏡に例えると遠近両用、つまり多焦点のレンズもある。こちらは自由診療になるので、両眼で七十万から百万円近くなる。老眼を経験したことのない若い人には多焦点の眼内レンズはお勧めだという。

 人間というのは面白いもので、高い支払いをしたら、当然、それだけの効果があると思い込んでしまう。しかし、現実はそう簡単ではなくて、多焦点のレンズ が合わない人もいるそうだ。そのリスクを事前に説明しても、やはりクレームが生じ、入れ替える手術を受ける患者はいるらしい。

 おそらく私が手術をしてもらったクリニックでも、あらゆる想定をして何が起きる可能性があるかを説明してくれたのだろう。しかし、残念ながら私の頭にはまったくインプットされず、術後は不安ばかりが増大した。

 もともと近視の患者と遠視の患者とでは、同じ白内障手術を受けてもレンズの選び方には違いがある。遠視が強い場合は、白内障手術によって遠視をなくす と、厚い眼鏡とはさようならできる。近視が強い場合は近視を全部なくしてしまうと、遠くは見えるのだが、近くが見えなくなってしまって困る患者もいるらし い。

「手術の上手い下手も大事ですが、それよりも患者さまの満足がいく度数をどういうふうに合わせるかがポイントです」

 堤先生の言葉で、ようやく私は納得した。単焦点のレンズを入れたら、遠くは見えても、近くが老眼鏡の助けを借りなければまったく見えなくなるという現実をしっかりと認識しないまま手術を受けてしまった。それが自分の術後のさまざまなストレスの大きな原因だったのだ。

「若い人は運転をしたり遠くのものをはっきりと見なければいけないことが多いです。しかし歳を取ると遠くはほどほどでも身の回りがよく見えるように合わせ た方がいいかたもいます。工藤さん、今はお食事のときにご飯の粒々があんまりはっきり見えないでしょう?」と言われてはっとした。

 近くが見えることの有難さを私は術後に初めて知ったわけだ。

 白内障は五十代で五割、六十代七十代になると、もう七、八割の人が発症するという。それだけに昔と違って早い時期に手術を受けて視力を取り戻そうとする人がこれからも増え続けるだろう。

 そして、視力の回復は認知症の老人にとっては良い意味での刺激となる。堤先生がこんな話をしてくれた。

 その患者さんはひどい認知症だったそうだ。手術について説明をした際も何も話さず、ボーッとしたまま。それが手術が終わり、出て来た途端に、見えるようになったせいか「あっ、きれいなクリニック」と笑みを浮かべたという。

 また、私のように長い年月眼鏡が手放せなかった者にとっては、裸眼での外出が可能になった。そう考えるとプラスの局面がきわめて多いのだが、術後の状態に上手く対応できない患者には、それなりのケアが必要だろう。

 何より安易な先入観は捨てるべきだと思った。五分で終わり、すぐに視力が回復する魔法の手術なんてこの世に存在しない。

 まずは腹を括って、両眼を手術するなら最低でも二週間は不自由な生活を送ることになる。その後も不快感が残ることがある。そうした覚悟を持って、信頼の 置ける医師に執刀してもらうのが最も大切だと痛感した。あくまで私感だが、どうも白内障の手術は安易に考えられ過ぎているようだ。

 医学の進歩により身体の各部位のメンテや交換の選択肢が増えたのは嬉しいことだ。後妻の桃子さんのみならず、女性の生き方が問い直される時代だからこ そ、健康の意味が重要になる。しかしまあ、年寄りが医療に関する正しい情報を得るのは、まだまだ難しいと身を持って知った体験だった。

※女性セブン2016年5月5日号