最近、写真を撮っていないことに改めて気がついた。
絵が下手なためか、親父の影響だったのか、写真撮影が大好きだったのだが、最近は撮っていない。
結婚式の写真撮影を頼まれるので、静止画カメラ以外にも、ビデオカメラ等にも手出していたが、最近は数台のフィルムと数台のデジタルカメラを残すだけで、残りは処分してしまった。愛用はガラケーの付録カメラだ。

よく覚えていないが、42歳の厄年あたりまではカメラ撮影を好んでいたように記憶する。 しかし、以降はカメラのファインダーを片目で覗いてもピントが合わせ難くなってきた。 今になって思えば、あれが現在の“眼の異常”の始まりだったのかもしれない。 過去記事:カメラ利用歴

何れにしても、50歳を過ぎた頃には「写真を撮るのは旅行の時」のようになり、普通の風景を撮ることは薄れてきた。
また家族写真等は、被写体となる女将や母がカメラを向けられる事を嫌うようになった為、撮ることが少なくなった。


最近の視力が悪く記憶が悪い俺を振り返ると、父や母そして女将の顔を思い出すのが難儀になったように感じている。 とある瞬間の顔は思い出すのだが、連続的に思い出すことが出来ないことに気がついた。若い頃には意識したこともないことで、若い頃に出来ていたのかは知る由もないが、少なくとも今はできない。
思い出すのは“ナマの顔”よりも、“写真に映った顔”であることが多いことに気がついた。

最近では、女将の写真を撮ることは皆無と言える。 旅先での写真がせいぜいで、顔が写ったものは少ない。
姉さん女房の我が家だが、「死ぬのは俺が先」と勝手に決めてきた。
しかし、順番が狂った場合、女将の顔を思い出せないのは悲しいじゃないか。
マイナンバーカードを申請する為に撮った写真は、似ても似つかぬものであった。仏壇に飾っても「あんた誰」だ。

 アルバム整理するのが面倒になってきた昨今では、ガラケーで撮った写真をメール添付してネット上のアルバムに送信してオシマイなのだが、あれは止そう。 本当の家族写真を撮ろう。
ブログ等のWebに掲載しても差し支えのないような程度の写真は、当事者が逝けば共に風と共に去るだけだ。

 コンパクトなデジカメを身近に置いて、なにも無くても女将を取りまくろう。
“林家ペー・パー子”じゃ~ないが、カメラを向けることが常態化すれば抵抗を受けなくなるだろう。
 電子書籍を読む為に買ったタブレットだが、アルバム代わりにはもってこいである。拡大して見られる。

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永遠の嘘をついてくれ 吉田拓郎70歳 中島みゆき64歳  つま恋2006年9月23日土曜日秋分の日