2011年(平成23年)3月11日(金)、地震が発生した。
後に気象庁により、東北地方太平洋沖地震と銘々された巨大地震だ。
日本の太平洋三陸沖を震源として発生した巨大地震により大津波をもたらし、東日本大震災と銘々された。
東日本大震災は、福島第一原子力発電所事故を引き起こし、電力供給不足による計画停電となった。
時期を同じくするかのように長野県内でも大地震が続いた(長野県北部地震長野県中部地震) が、東日本大震災の影に霞み話題に上ることが少なかった。
当時おいらの住んでいた東京圏でも それまでに経験したことの無い揺れだった。
既に3年を経過したが、ボケ防止の意味を含めて思い出しながら3.11から数日間のおいらの事を記録に留める。

勤務していた事務所は東京都中央区日本橋、浜町の明治座ビルから1年前に移転した東日本橋の11階建ての4階にあった。 1年前に新築したビルであったが、隅田川にほど近い立地の為、地震に弱い場所と言えるだろう。


3/11
は金曜日であり、明日からは休日というノンビリした気分の15時近く、地震の揺れを感じた。
地震慣れしている関東人だが、それまで経験した事の無い、強烈な揺れだった。 「いつもの地震」 と思い、殊更のこともせず仕事をしていた。 しかし、おさまらない揺れに仕事を中断し、椅子に座るよりは..と思い、床に座る。
随分長く感じた揺れがおさまり、テレビを付けると東北地方の太平洋側で大地震が発生したことが報じられていた。
過去の経験からこの様な場合、東京圏では公共交通が動かなくなることが予想できた。女性派遣社員をはじめ若い男子社員が騒ぐ中で、身の振り方を思案した。本日帰宅するのなら、早めの行動を起こさなければならないだろう。
「会社からは早期退社の指示は出ていない」・「本日中は、公共交通による移動は困難だろう」・「タクシーを利用するなら、今の内」 等など...結論として、会社からの退社指示があるまでは、事務所で待機することにした。

鎌倉市の自宅に電話したところ、地震の第一波が治まった直後だった為、すぐに通じた。 女将共々、自宅の状況は無事とのこで、一安心。 「おいらは即座に帰宅行動ができない。遅くなるに従い、帰宅は困難になる。その場合、安全の為、事務所に宿泊する。帰宅できるのは数日後になるかも知れない」 旨を、電話が切れないことを念じながら、手短に伝えた。 「自宅は大丈夫だから、心配するな。無理して帰宅しようとせず、安全第一で、良い方法を取れ」 という女将の返事で、安心する。 ちなみに、我が家はアナログ電話であったため通話できたが、光電話であった隣家では電話が通じず我が家に電話を借りに来たことを後日談で聞いた。 アナログ電話は良い。
ここまでの手筈は、地震発生から5分程度で終えた。すなわち、15時前ということだ。

15時30分頃には、帰宅せず事務所に泊まることを決めた。 巷の安ホテルよりは、会社のビルが安全だろう。
16時前には、近くのコンビニに出かけ、夜食を仕入れてきた。 既に、食料は品薄状態であった。
時間と共に、「公共交通機関が動かない」⇒「タクシーは道路混雑」⇒「徒歩で帰宅する者がでている」ことがテレビ報道されはじめた。
18時迄が勤務時間の会社から早期退社指示があったのは、17時を回った頃だった。 しかし、既に帰宅の足は無く、半数近くは事務所泊をせざるを得ない時刻である。 翌日が休日だったことも有り、徒歩で帰宅に挑んだ者も多かった。 こんな遅くに早期退社指示を出すのは間抜けな事だと思ったものだ。
その夜は、事務所の椅子で仮眠しながら、テレビ報道を見て過ごす。

3/12早朝になっても、公共交通機関は完全に運行されていなかった。 複数の電車路線を利用できる位置に在る事務所であったが、当日運行されている電車は無かった。
しかし、6時のニュースでJRが運行開始される旨、都営地下鉄1号線(都営浅草線) が運行される旨の報道がなされた。 洗面や身支度もそこそこに、帰宅の段取りをして退社する。会社傍の街は何事も無かったかのように静かだ。
都営浅草線で品川に至れば、先はJRを利用することで帰宅できると読んだ。 しかし、そんなに甘くはなかった。
都営浅草線内の人形町⇒泉岳寺までは、予想外にスムーズ。 泉岳寺⇒品川 間は運休している京浜急行路線とのことで、徒歩でJR品川に到着。 道路は車道・歩道ともに混雑している。


JR品川駅は、おいらと同じ魂胆を持つ者でごった返していた。
京浜東北線・横須賀線・東海道線の各ホームで、「このホームに着く電車は混雑している為、当駅では乗車できない。別のホームに行け」 という内容が繰り返しアナウンスされる。 しかし、どの路線が動いているのか? どの電車なら乗り込めるのか?」 さっぱりわからない。 各ホームの係員同士の連絡が取れていないことが知れた。
各ホームでバラバラの内容のアナウンスの都度、それに惑わされるように乗客がホームを右往左往する。 繰り返されるアナウンス・乗客の声・そして余震を告げる緊急地震速報の電子音等で、ホームは喧噪に溢れ返っていた。  極稀に着く電車は、始発のJR東京駅から乗車した人達で立錐の余地も無く混雑しており、乗車するどころでは無い。 しかし、JR品川からどこかに移動するにも移動手段が無い。 腹をくくって、自動販売機を見つけて水分補給し、ホームのはずれに在るトイレに寄り、突然死の防止措置をした。朝食は昨日に買い溜めした物を会社で済ませてきたが、駅では当然のようにキヨスクが営業していない。
そんな状況の中で2時間ばかりアッチこちのホームをうろつき、やっとのことでJR大船止まりの電車に乗り込むことができたのは運が良かった。 普段は停車するJR横浜駅を何故かノンストップで通過した為、混雑しているものの途中での乗降が無く、快調に運行された。 JR横浜駅で降りるつもりの人が騒ぐ声が聞こえていたっけ。

JR大船駅では、更に先に向かおうとする乗客で混雑していた。 駅前広場には、路線バスを待つ人が列を成すが、バスは何時来るのか?。 タクシーはいつ来るのか判らない。  そんな中 おいらは、徒歩で10分掛からない自宅に着き、やれやれ。 築6年の我が家は、何事も無し。 取りあえずは爆睡。
当時は野々市の新築工事が進んでおり、併せて鎌倉宅は売却契約済みだった為、被害の無かった事に安堵也。