今じゃ~「ラーメン」というが、少し前には「中華そば」、もっと前には「支那そば」と呼んでいた。

秋田の高校生時代には「支那そば」と呼んでいた俺だが、就職にあたって都会では「中華そば」と呼ぶこと、俺が住む横浜は中国人の店が多いから「ラーメン」と呼ぶかも知れない...ことを学習した。
しかし、東京では「ラーメン」の暖簾を見かけたが、初めて横浜の中華街に出掛けて「ラーメン」屋を探したが、そんな店は無かった。 飛び込んでみた中華料理店でそれらしき麺を頼んでみたが、思っていた物とは大違いだった。

今では、当時のどれにも当てはまらないような麺が「ラーメン」の名前で食べられている。
昔は「ラーメン」にしても、もっと器が小さかった。 屋台の「中華そば」なんぞの器は小さいのが当たり前だった。
今のように“馬にでも出す洗面器”のようなバカでかさではない。 「変え玉」なんて事は、丼が小さかったからはじまったのでは? 今の洗面器では、 「変え玉」なんて~食文化は絶対に起こり得ないと思うのだが。食えるか、あんなに

酒を飲んた後で「〆のラーメン」とか判ったような事を言っている奴がデカイ器で食っていると、「それが〆か」と見る。
つまみの量にしたところで昔に比べれば多すぎるのに、「〆のラーメン」としてあんなに食べるのでは太って当然だ。

昔の飲み屋は、バーにしても居酒屋にしても滞在時間は短かった。短い時間にサッと飲んで、それなりに会話と雰囲気を楽しんで、金払い良くしてトットと店を出る。 飲み足りなかったら店を変えて飲み直す。
最後の店は出るのはその日のうちに...というのが酒飲みの礼儀であった。 銀座のお姉さま達ですら終電で帰宅した時代だ。 勿論、セレブのお姉さまはタクシー利用であり、青山・六本木で飲み直しをしていた。
そんなお姉さまに同行できない男どもは、寂しく屋台の「中華そば」で腹を塞いでいたものだ。

ドリフ 屋台のラーメン