過日、鶴田真由氏のTwitterにて告知のあったNHKアーカイブス「比叡山 千日回峰~“一日一生”いまを生きる~」を視聴した。 比叡山に在る日本天台宗の本山延暦寺の僧侶である酒井雄哉氏が阿闍梨となる修行を映した番組で、初回放送は1979年1月5日にNHK特集「行 比叡山 千日回峰」の再放送である。 WikiPedia:千日回峰行

初回放送時には、仏教を学問としてしか考えていなかった俺は、あの修行を関心深く視聴していた。
また、修行の様子も然ることながら、阿闍梨を見つめる里人信者が示す尊敬の振る舞いは極めて不思議であった。
テレビで知る限り、(少なくとも)関西以南では仏教を信仰する人達が多いようだ。特に近畿圏の古都と呼ばれる京都や奈良の里人は修行僧の托鉢には積極的に供養しているようだ。また、四国八十八箇所などに代表する霊場を巡礼することも関西以南が多いように思う。他には、京都に近い北陸地方と、幕府があった鎌倉だろうか。
俺が生まれ育った秋田では“寺や僧侶”との付き合いは極めて希薄であった。少なくとも俺の周辺では僧侶と付き合うのは葬式等の仏事の時だけで、仏教を信仰する為の証と見受ける行為をする者はいなかったと承知する。
中学生の頃に奥州藤原氏中尊寺毛越寺の存在を知り、「仏さんを拝んでどうするの」という感じであった。
仏教というものは、学問としては関心があったが、信仰の対象ではなかった。
近畿圏では仏教を信仰する人が多いのかも知れないが、或るラインから北部では仏教よりも山岳信仰というか古神道に親しむ里人の方が多いのではないだろうか。また、霊場でも慈覚大師が開山したとされる恐山だが、そこで口寄せするイタコが拠りどころなのでは無いだろうか。そんな事からなのかは知らないが、東北では阿闍梨よりも即身仏に対する信仰・敬意の方が高いように思う。ちなみに秋田の我が家では、極稀に来る托鉢僧は乞食坊主と呼んだ。
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そのような信仰心が反映された結果なのかは知らないが、東北地方の自殺率は高い。一方、仏教への信仰心が高いのではと思われる地方では自殺率が低い。
この自殺率の低い地域では“死への恐怖心”が強いようだ。 “死への恐怖心”が信仰への引き金になったのか、それとも、信仰心の強さから恐怖心が発生したのかは興味深い。

93歳で逝った俺の母親は殆ど病気らしい不調は無かったが、親父が死んだ後でも「死ぬことは怖くない」と言っていた。現在67歳で色々と病気持ちの俺だが、同様に「死ぬことは怖くない」。
まるで何とも無いかと問われれば、見知らぬ土地に出掛けるような気持ちとでもいうのだろうか。恐怖心は無い。
“死の恐怖感”は無いが、死にたい訳ではない。良寛和尚の最後の言葉と言われるが「死にとうない」ね。
千一番目の神を受け入れることができる日本人は、やはり縄文人の心を持っているのだろうと納得している。
いずれにしても、無宗教の俺としては死生観と呼べるような生き方は知らないが、自分に恥じない死に方をしよう。

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