芸人と一言でまとめても、最近は細分化されているようだ。
WikiPedia:芸人より抜粋引用
かつては俳優舞踊家を含め、演芸や芸能に通じた専門的で職業的な演者一般を芸人と呼ぶことが一般的であった。この用法における芸人が扱う芸種は今日の落語から歌唱演奏演劇歌劇人形劇舞踊手品傀儡、に至るまで多岐にわたっていた。近年の日本ではテレビ番組などの影響により、本来の意味での芸人全体を構成する一部であるお笑い演芸の更に一部にすぎないはずの「お笑いタレント」のみを指して芸人と呼ぶ用法が若年層を中心に一般化しつつある。
「堅気」の人に対して、「やくざ」や「芸人」とは1ランクも2ランクも下層として扱われていた時代があったそうな。
下層民である「芸人」の浮気を取り上げて騒ぎ立てるのは、やはり下層の瓦版屋であったと聞く。
その意味では、国技とか称してもて囃されるものの、瓦版屋のネタになる大相撲もその程度ということか。
芸人にも相撲取りにも増して、彼等を追いかけては飯のネタにしている不様な瓦版屋にだけは成るまいぞ。
今「日馬富士暴力事件に端を発して、貴乃花」の話題でヤット生存しているテレビ界は、あの話題が終結したらどうする? あの事件を面白くしようとするから騒ぎ立てているが、堅気のサラリーマン世界ならば「所属部署は違うが同郷同士の後輩が先輩に酒の席で殴られ、後輩の所属する上司が会社の頭上越しに警察沙汰にした」というだけの事だ。更に言えば「出身地が同じ先輩と後輩が人生観の話題で暴力沙汰に及んだ」事に、上司だろうと会社だろうと出しゃばる事は無い。「自分達または同郷の者達で決着すれば済む」ことだ。
そんな揉め事の収拾をする会社も上司達も出しゃばりという事だ。その間で伝達ケームするマスコミは何だい。
「親方は協会に対する背任」的な評価もあるが、親方の立場では内部告発が非難されるのか。
過去記事:大相撲問題は日本の縮図 / 殴打事件にみるTVの終焉 / 大相撲の成り行きは? / マスコミ助けのリオ五輪

俺の知る程度であっても、芸人の世界では売春や人身御供などは日常茶飯事であり、その程度の出来事で話題になる事は無かった。さすがに、殺されたとなればそれなりに話題になったかも知れないが....

芸人の細分を語る事はしないが、「お笑いタレント」なる職業は更に細分化されているようだ。どのように称するのが正しいのかは知らないが、自称・他称の「お笑い芸人」なる職業は何をしてもOKということらしい。
下らない話をして笑わせていた者が、売れてくると番組の司会をしたり、ドラマを演じるものになったりするようだ。そんな中から、突出した者はマスコミの上層部と親しくなり、更には政治屋とも交際する身分にまでなるようだ。
「あんな職業をさせるために育てたわけでは無い」と言われた時代もあったが、今では親が望んでいるらしい。
「10年後のトップは俺」さんま、タモリ、たけし「お笑いBIG3」の賞味期限|AERA dot
そのように、言わば出世の道が開かれるかも知れない職業の「お笑い芸人」今では希望者が殺到しているらしい。
俺の育った時代であれば、「お笑い芸人」になる子供は親に泣いて止められただろうが、今では親も勧めるとの事。

そのようにして目指す「お笑い芸人」の道は、それなりに険しいのだろう。テレビに出演できるようになった「お笑い芸人」は、この機会に自分が目立とうとし大きな声で話す。他の者を押しのけてでも目立ちたいが為に自然と大声になり、他の者が話していようともお構いなしに被ってでも各自勝手に話す。

この風潮は「お笑い芸人」の世界だけに限らず、堅気の者にまで蔓延している。要するに「自分ファースト」だ。
そして、各個々人に限らず、組織や企業・団体も同様であり、国家までもが自分の事しか考えていない。
宗教を信じ神仏に助けを求める人達は何を救って欲しいのだろう。人類の歴史や生き方は、「お笑い芸人」也。