人は二言目には「頑張る」と言う。
自然災害から立ち直ろうとする時、入学試験を受ける時....例示すれば限りなく、頑張る機会はあるらしい。

人は、「頑張る」という言葉が好きなのだろうか。
本当に頑張っているのだろうか。 誰に対して頑張るのだろうか.....、自分に、他人に....
単純に「頑張る」というアドバルーンを上げているだけではないだろうか。

別に、頑張りたいなら頑張ればよいだろうが、自分で「頑張る」と口にするほどに傍目で見れば頑張っちゃいない。
もっと頑張らなければならないんじゃないのかいと見える人でも、「頑張る」と言うだけで頑張らない。

いちいち「頑張る」と口にしなくても、もっと自然体で生きていけばいいんじゃないのかな。
頑張って生きていると疲れるよ。 きっと。

とは言うものの、別の側にいる人は「頑張れ」と言う。
マラソンを走る人や、入学試験を受ける人....例示すれば限りないらしい。

別に「頑張れ」と言ったところで、言われたところで、何か変わりがあるのだろうかとも思うが、それは俺のような朴念仁だけのことで変わりがあるのだという人達が多いようだ。
とは言うものの、マスコミ等でも書かれているが「頑張っている」者に対して「頑張れ」と言うことは、侮蔑しているのではないだろうか。当人の頑張り度合いを認めていない為に更なる頑張りを求めているのだろうか。
「頑張れ」と言われる側は、そんな言葉を掛けられずとも懸命なのではないだろうか。
..........................etc.
類似した用い方に「大丈夫」というのがある。泡を吹いて倒れている者に「大丈夫か?」と問われても...

とどのつまりは言葉のボキャブラリーの問題なのだろう。「頑張る」という心情・行為を表す言葉が少ないのではないだろうか。『頑張る(がんばる) - 語源由来辞典』によれば『頑張るとは、困難に耐え、努力してやり通すこと』

なるほどと思ったり、思わなかったり。 新造語が溢れる現代に「頑張る」に替わる言葉が現れない事を何と見る。
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