【天皇陛下譲位】官邸、宮内庁そして皇室…水面下で続いた静かなる攻防 憲法4条の狭間で揺れた1年4カ月 - 産経ニュース
天皇陛下の退位が2019年4月末になった理由 | 日テレNEWS24 | 東洋経済オンライン
日本の天皇、2019年4月に退位へ - BBCニュース
2017/12/01に皇室会議が行われ、天皇譲位の日程(2019年4月30日退位、翌5月1日即位)が決定とのことだ。
皇室会議は「採決を行い、出席議員の3分の2以上の多数で決する」こととされているが、本件では採決が行われなかったとのことだ。
皇室会議では日程のみの事であったと報じられるが、果たしてそれだけで良かったのかと疑問が残った。

いわゆる「生前退位」について今上天皇明仁陛下が“お気持”を述べられた頃には、憲法改定の要否等が話題になったが、結局は2017/06/16交付の特例法という言わばその場しのぎの手段で片づけられようとしている。
憲法改定ともなれば、女性天皇等を含む「皇室典範」の見直しが議論されたであろう。皇室典範の原文

安倍草履を始め関係者一同は生前退位の日程を決めたことで「難題をやり遂げた」と自画自賛しているが、ここに至るまでの裏の道中は如何ばかりであったのだろう。
本件の始まりは2016/07/16に『天皇陛下 「生前退位」の意向示される | NHKニュース』としてNHKの単独スクープ的に報じられた。あの報道に関わったとされるNHK記者と宮内庁担当者は生きているのだろうか。
 最近の日本のマスコミは、譲位が行われる2019年のカレンダーの印刷と、連休の数を面白可笑しく報ずる程度だ。しかし、この度決まった事は天皇陛下が考えた内容であったのだろうかと考えさせられる。
関連過去記事:天皇生前退位報道に疑念 / 天皇もつらいよ / 望んだ内容ではない / “お気持”報道への思い / 天皇に関する取り越し苦労 / 平成は30年度まで?


カレンダー屋の心配ネタの一つに元号がある。
しかし、元号を変える事(改元)は1979年(S56)に成立し即日施行された元号法に基づいているだけの事だ。
元号法は、明治政府が天皇一代につき一元号とする一世一元の詔(一世一元の制)のパクリである。
「昭和」や「平成」の元号は元号法の規定に基づき政令により定められる。
ということで、元号は元号法の第2項『元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める(一世一元の制)』に基づいて定められている。しかし、元号使用の歴史を斜め読みしても、必ずしも皇位と元号が連動しているわけでは無い。
法制化時に行った世論調査では「日本人の87.5%が元号を使用している」との事だが、役所の書類が和暦を用いている為に元号に馴染みがあるということなのではないだろうか。
俺は、仕事人時代には仕事の都合から和暦の年度を用いていたが、退職してからは和暦と言うものはトンと無用である。偶に市役所で書類を書く場面で「平成年」を用いる際に戸惑っている現状だ。

そんな事から、カレンダー屋が悩み、頭の良い学者先生たちの議論のネタである元号制度を取り止めることは殊更の事は無い。ちなみに、昭和平成と定まる経緯は興味深い。因みに、2019/04/30限りで平成の元号は終わる。
WikiPediaの「紀年法」によれば、日本では「元号・干支・キリスト紀元(西暦)・神武紀元の4種類」が用いられているとのことだ。

太平洋戦争(大東亜戦争)に負けて百年が経ち、日本らしさが失せてきたところに来て、安倍晋三がぶっ壊し、2020東京オリンピックに向けた日本文化壊滅作戦が華やかなんだから、この際に元号制度を止め、日本の国語をEnglishにしたら如何なものだろうか。

今日(12/03)は『カレンダーの日』
太陽暦採用に伴って明治5年12月3日旧暦)が明治6年(1873年)1月1日となったことに由来し、全国団扇扇子カレンダー協議会が1987年に制定。西暦(グレゴリオ暦)と連係した新暦は、1873年(明治6年)1月1日に施行された。
WikiPedia:元号から西暦への変換表 / 元号一覧 (日本) / 日本の暦
【換暦】暦変換ツール
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

退位:日程、苦肉の策 官邸と宮内庁綱引き

毎日新聞

 1日の皇室会議で、天皇陛下が退位される日が2019年4月30日に固まった。退位日は新元号が始まる改元と関わるため、国民生活への影響が大きい。年末や年度末という区切りの良い日も検討されながら実現しなかった背景には、年末をめざした首相官邸と、それに反発した宮内庁による綱引きがあった。【高橋克哉、高島博之、遠藤修平】

 菅義偉官房長官は皇室会議後の記者会見で、退位日を2019年4月30日とした理由について、年度末は転居が多く、与野党が対立する統一地方選が19年4月に予定されていると指摘した。年度末で区切りが良い19年3月31日の退位日を選択しなかった理由を説明することに力点を置いた。

 昨年の段階で、安倍晋三首相が最初に検討したのは国民生活への影響がもっとも少ない「18年12月31日の退位、19年1月1日即位・改元」だった。年の変わり目の改元ならシステム障害が起きにくく、国民にもわかりやすい。だが、宮内庁は元日の宮中祭祀(さいし)や国事行為の「新年祝賀の儀」など行事が集中することを理由に難色を示した。

 それでも首相は「元日改元」にこだわった。菅氏とともに練り上げたのが「天皇誕生日の18年12月23日の陛下の退位、24日の新天皇即位、19年1月1日改元」の日程だった。退位、即位と改元の時期をずらし行事を分散させ元日改元を実現する次善の策だった。

 ところが宮内庁はこれにも反発し、官邸に年末年始の皇室行事の一覧表を持ち込んだ。「12月から1月までいかに多忙かがわかる表」(同庁幹部)で、同庁は年末年始の皇位継承は難しいとの説明を繰り返した。19年1月7日の昭和天皇逝去から30年の「式年祭」は現在の陛下が行うべきだとも伝えた。「宮内庁は『とにかく年末年始だけはやめて』の一点張りだった」。官邸幹部は振り返る。

 一方で宮内庁が今年夏ごろに提案してきたのは皇室行事が一段落する「3月31日退位、4月1日即位・改元」の日程だった。官邸も検討は進めた。だが、4月に統一地方選が予定されるなかでは「静かな環境」とはなりにくい。首相も10月ごろ、周囲に「なかなか難しい」と漏らすようになった。1~3月は来年度政府予算案の国会審議が続く。夏には参院選がある。19年の政治日程を踏まえれば、残された選択肢は限られていた。

 年度末の退位とすれば、宮内庁の言い分が通った形になるのを官邸が嫌ったとの見方もある。今回の退位は、陛下の意向によって始まった側面が否定できない。それだけに官邸には主導権を確保しておきたいという意識が強い。政府関係者は「陛下の意向をくんだ宮内庁が主導したとなると、(天皇は国政に関与しないという)大前提が崩れる。年度末の異動によるシステムの影響はあるが、それは後付けの理屈だ」と指摘した。官邸内では年末退位案が実現せず、中途半端な日程に収まったことに対し「宮内庁は伝統や格式ばかりを重視しすぎている」(政府筋)との不満もくすぶっている。

皇室会議、採決せず

 1日に宮内庁で開かれた皇室会議は、想定の1時間を超える1時間14分にわたる議論になった。出席者からは、天皇陛下の退位が国民の総意となる必要性や、国民と皇室に混乱が起きないよう注意喚起する声が上がり、議長の安倍晋三首相が退位を「2019年4月30日」とする意見案を示して集約した。政府高官によると、出席者から強い異論は出なかった。

 午前9時46分から同11時まで行われた皇室会議には会議の議員10人が出席。退位を実現する特例法の担当閣僚である菅義偉官房長官も陪席した。

 会議では、特例法の全文などの資料が配られた。「国民がこぞって陛下のご退位と皇太子殿下のご即位をことほぐにふさわしい日を選択する必要がある」との趣旨の発言のほか▽19年1月7日に昭和天皇逝去から30年の「式年祭」がある▽19年4月に統一地方選が予定される▽4月前半は国民の移動が多く、多くの行事がある--ことに留意を求める声も出た。

 首相は冒頭、会議の趣旨を説明し「退位・即位の日程についての意見を聴きたい」と発言。続いて菅氏が特例法の趣旨を説明した。そのうえで、首相が各議員を1人ずつ指名して意見を求め、議員は用意した文書を読み上げるなど意見を表明した。大島理森衆院議長は特例法制定に至るまでの経過を説明し、伊達忠一参院議長が賛同する場面もあった。

 高齢の常陸宮さまや常陸宮妃華子さまの体調を考慮し、10人全員が発言して議論が一巡した時点で休憩を挟んだ。休憩中、首相は菅氏と別室で意見案について打ち合わせをし、議論再開後に提示。皇室会議の意見として決定し、出席者が署名した。

 出席者による採決は行わなかった。山本信一郎宮内庁長官は記者会見で「皇室典範に基づく議決ではない。意見交換を踏まえてこういう意見がよい、という形で決定された」と説明。「(日程案が)複数示されたということではない」とも語った。