比叡山の延暦寺では「千日回峰行」が行われる。
千日回峰行は天台宗回峰行の1つで、平安時代相応が始めたとされる。満行者は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれる。行は7年間にわたって行われ、1〜3年目は年に100日、4〜5年目は年に200日行う。5年700日を満行すると、最も過酷とされる「堂入り」が行われる。
入堂前には行者は生き葬式を行い、明王堂で足かけ9日間(丸7日半ほど)にわたる断食・断水・断眠・断臥の4無行に入る。堂入り中は明王堂には五色の幔幕が張られ、行者は不動明王の真言を唱え続ける。毎晩、深夜2時には堂を出て、近くの閼伽井で閼伽水を汲み、堂内の不動明王にこれを供えなければならない。水を汲みに出る以外は、堂中で10万回真言を唱え続ける

山形県の庄内地方などでは入定(“にゅうじょう”ないしは生入定)という観念で、「即身仏」となる真言密教の究極的な修行が行われる。修行とは言うものの、行者が土中の穴などに入って瞑想状態のまま絶命するのだそうだ。

 俺のような無神論者としては、「大阿闍梨」と「即身仏」との有様に別の姿を投影してみてしまう。
それは、助からない病気であることを告知された患者であり、余命宣告された病人の姿だ。
また、大阿闍梨とは『生死の境ギリギリの時を過ごす事で生きる意味悟る』ことであり、即身仏とは『肉体の生を捨てて永遠の瞑想に入る』ことの差であるとも思う。

いずれにしても、型ある物体として生きることを望み続けても、死はいずれ訪れる。

「千日回峰行」は、2017年9月18日に戦後14人目の釜堀浩元氏が満行した。「二千日回峰行」は、1987年7月に戦後9人目となる酒井雄哉氏が満行した。片や「即身仏」は、1903年(M36)新潟県村上市の 観音寺に祀られている仏海上人以降は、修行に伴う行為(遺体の腐敗防止作業等)することが法的に禁じられたと聞く。
関連過去記事:死への恐怖心:考