貧乏金持ちの差とは何だろうと考えてみた。

貧乏人にとっても、金持ちにとっても、「家は家」にしか過ぎないだろう。
「食い物は食い物」であり、「着る物は着る物」であろう。
しかし、貧乏人にとっての「五千万円の家」は目も眩む家であろうし、金持ちにとっての五千万円は〇〇なのではなかろうか。『肉を食う』といっても、貧乏人の肉は、金持ちの飼い犬の肉なのかもしれない。
貧乏人は千円の肉で旨いと絶賛するが、金持ちは億円の肉でも当然と思う。要するに住む世界が違うのだ。

貧乏人は貧しい家庭で生まれ、金持ちは裕福な家庭に生まれるのだ。
王子と乞食」という児童文学があったが、生まれ育った環境によって児童の感性は固定されるだろう。
金持ちは金持ちとして生まれ、青年期を過ぎてから貧乏人になったとしても、金持ちの感性は変わらない。
同様に、貧乏人が金持ちになった(長者成金)ところで、貧乏人の感性が変わる事は無い。
要するに、『金の使い方』に差があるということだ。

懸命に働いて得た金であろうと、あるいは親の遺産を使ったとしても、人の一生で必要とする物は限定される。
衣食住にどんなに金を掛けようとも、金を掛けなかろうとも、人の一生なんてそんなに変わらない。
それにも関わらず、人は金持ちに成りたがる。しかし、上限の蓋はきっと有るのだろう。
強いて考えれば、「貧しい暮らしをしている者」は健康な一生で、反対の暮らしをした者は美食の為に短命なのかも知れない。 いずれにしても、あの世に金は持って行けないことだけは間違いないらしい。