飲料をに直接口をつけて飲む行為を、その姿から「ラッパ飲み」と言う。
ラッパ」という金管楽器が日本で認識された歴史(軍隊ラッパ)から考えれば、新しい言葉だろう。

最近ペットボトルが出回ってからは、生まれも育ちも良さそうな美人の女ですら、周囲を気に掛ける事も無く、とても自然にラッパ飲みをする。自然溢れる山・川での事であれば兎も角、自宅のテーブルに座って居てでも当然のごとくラッパ飲みであり、コップに注いで飲むという事は考えてもいないように見受ける。別に差別をするつもりは無いが、俺が子供の時代であれば、良家の御嬢様や奥様と言われる女が行う行為ではなかった。(「女」 と 「女性」)

秋田で育った俺の周囲で初めて女性がラッパ飲みする景色を見たのは、中学生の頃に東京から来たという女子大生の案内をした際に登山コースの山小屋でコカコーラを飲む姿であった。そもそも、コカコーラという奇妙な茶色の液体なんぞが飲み物であるという認識すらなかった田舎者の小僧は、女子大生に勧められて初体験した物が美味いとは思わなかった。色気づいた高校生になって読んだ週刊誌の宣伝で、コカコーラをラッパ飲みする写真を見て、あれはそのようにして飲むアメリカの飲み物である事を知った。日本にコカコーラを流行らせたのはアメリカの陰謀也。

上京する前の俺が知る限り、リアルな秋田や、日本CMの風習でラッパ飲みをする景色は見たことが無い。
高校生時代までは、日本酒の一合瓶やサイダーでも、コップに注いでから飲んでいた。飲料の入れ物に直接口をつけては飲まなかった。そもそも、屋外で飲む事はせず、自宅に持ち帰ってから飲むのが当たり前であった。
これは、屋外の自動販売機で買う缶入りジュースや缶入りビールでも同様であった。
屋外で飲み食いするなんて事は、花見と運動会程度ではなかっただろうか。

ラッパ飲みが一般化された事で、瓶や缶などに入っている内容物はすべて自分の物であるという感性になった。
日本人の心から、瓶に詰められた飲み物をコップ等に注ぐ事で皆で分かち合うという風習が失せてしまった、
今時の若者では、自宅にコップが無いと聞く。冷蔵庫から冷えたペットボトルや缶を取り出して、一人が一本ずつラッパ飲みすれば良いのだ。飲み切れなかったら捨ててしまえばよいのだ。
昔は、歯磨き時のうがい用だろうが、ゴハンの茶碗だろうが、何某かの小分けする方法を考えたが...
銭湯通いをしている頃の湯上りはコーヒー牛乳のラッパ飲みが定番であった。なぜか右手に牛乳瓶を持ち、空いた左手は腰にあてがって飲むポースも定番であった。過日のテレビ番組で「なぜ腰に手をあてがうのか」を説明していたが、なるほど半分の眉唾で、まあ良いかである。

最近、ペットボトルはマイクロチップの発生原因であるとして、その削減が叫ばれている。
日本政府も世界に遅ればせながら対策に乗り出したようだ。しかし、単純にペットボトル等のプラスチックごみを減らすという事で考えるのは誤りらしい。プラスチック製品を製造する為の石油の利権に始まり、世界的な規格が定められていないプラスチック製品を規格化し、処分に掛かる作業形態の一元化を図ることで利益の独り占め的な事を企てているグローバルな誰かが動いているのであろう。

現在のような日本政府の緩慢な対策では世界の動きには着いていけない。結果としてガラパゴス化するだろう。
サウジアラビアとトルコの確執にアメリカ等が絡む国際情勢とマイクロチップの関連をどう見るかは関心深い。
コカコーラの立ち飲みが普及し国際化したつもり日本人は、プラスチックで世界から置き去りにされるのだろうか。
過去記事:コーラのラッパ飲み / ラッパ飲みは恰好良い? / レジ袋の有料化:考