あちこちでブログが新規開設されている。
しかし、数カ月も経つと「ネタ切れ」とやらで、看板だけを残して執筆が途絶えてしまう。
俺に言わせれば、「ネタ切れ」と称する執筆者は「ネタ切れ」する前にはどんな素晴らしい内容を書いていたつもりなのだろうと不思議である。切れる前だろうと、後だろうと、大差の無い内容である。
まあ、「ネタ切れ」を理由にしてブログ書きを止めるのはカラスの勝手だから、四の五の言うことは無い也。
一度そのような人が志す「ネタ」というものを伺ってみたいものだ。5年とか10年とか続けている人達は「ネタ切れ」なんちゅ~事を思わずに、その日その日の思った事や、出来事を綴っているのだろうと思う。
俺の場合は「ボケ防止の為の自分の覚書」として始めたこのブログだから、「ネタ切れ」に成る時は人生の終焉也。
「ネタ切れ」とは見えず、素敵な文章を書くブログ「凛太郎の徒然草 / ちょっと歴史っぽい西宮」を見つけたが、最近は執筆されていない様子だ。再開を待ちたい。

 しかし、世の中的にはブログ執筆者の記事にコメントを書くということで意見交換している場面が多いようだ。
あれもコミュニケーションのやり方の一形式であろうが、執筆者の思いつきに、コメントするというやり方は如何にもまどろっこしい。 互いに意見を交わす場面になっても、ブログのコメント欄ではそぐわないと見る。
また、ブログ執筆者の言いたいことと、コメンティターのコメントが噛み合わない場面も見受けられる。
しかし、その話題でボタンの掛け違いが発生してもブログのコメント欄を用いて、齟齬を正すような事はしていない。
それでも、語り合いたいテーマが有る場合は、互いに消化不良のままで引き上げるしかないのだろう。
日本人、特にシニア層は、所有意識が強い人が多い。ブログにおいては「自分の物」的な感覚が強すぎる。

ならばむしろ、交換日記のようなブログにしたほうが意見交換できるのではないだろうか。
主従関係ではなく、両者が対等な情報発信者としてテーマを出し、そのテーマを論じる事ができるだろう。
40歳になったばかりの頃、ネット名「M」仙台市国分町の小ママ風との交換日記は楽しかったね
しかし交換日記であれば、一つのブログを複数の人が共有するスタイルとなり、リアルな知り合い同士でなければ管理上で悶着が起こるかもしれない。

ということで、「お題でブログ」するということはどんなモンだろう。
それならば「一つのブログを複数の人が共有する」事も無く、各自の管理するブログで「お題」に関する自分の思いを書けばよい。「お題でブログ」の友の会的なものは、このlivedoorブログでは『公式ブログネタ』として提供されている。  これなら「ネタ切れ」となることは無いだろう。
過去記事:消えた某ブログ / ヨッシーの思い出 / 消えたお気に入りブログ / ブログ開設が華やかに / ブログ幕引きの仕方 / 執筆者不在のブログ / 残されるホームページは(?) / 紛らわしいブログタイトル / 「ブログの書き方」考 / 「ト坊」を訪ねて

20180426
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