昔放送されたJRやNTTのCMには、ホロリとするような物が多かった。
中でも昭和60年頃の 「かえるコール」 は想い出深い。 当時のおいらの琴線に触れるものがあったのだろうか。
煎じ詰めて情景描写すれば、『電話を掛けているうちに、故郷に帰りたくなる..逢いたくなる』 というだけの事だ。




YouTubeで探った 「かえるコール」 には、黄色の公衆電話までもが出演している。
黄色が出現する迄の公衆電話は10円玉が必須であった。 遠距離の電話をする場合は、事前に10円玉を沢山用意してから事に臨んだ。 電話BOXが無い街中では、当時は街角に多かった煙草屋で お婆ちゃんに交換してもらう内に、馴染みになった人もいたっけ。
黄色になってからは100円玉が使えるようになり、10円玉が足りなくなる心配は薄れた。 一方で、90円分を損した場面も多かったようだ。

黄色の寿命は短かった記憶である。 間もなく、テレホンカードが使える緑色に変ったためだ。
色々なデザインがなされたテレホンカードは、それを収集する人が増え、プレミア付きの物まで現れた。
時を同じくらいにポケットベルが販売された。
何時でもどこでも会社からの呼び出しに応えなければならないような重要な立場に有る者に対して 会社から貸与されることが多く、ある意味では 『親父族のステータス』 であった。
居酒屋等で会社からのポケベルが鳴り、公衆電話を探す親父族を見かけることが多かった。
一方、高齢者を抱える等の事情から緊急連絡をしたい個人家庭でもポケベルが重宝されたようだ。


その頃にも 『携帯電話』 の前身があった。 しかし、「自動車電話」 のような大型の物であり、価格面からしても市民の手に及ぶ物ではなかった。


そうこうしている内に、docomoから小型で安価で携帯電話が発売された。
ポケベルを持って公衆電話を探していた親父族は、挙って携帯電話に切り替えた。 しかし、ステータスであることには変わりが無かったようで、「見せびらかすかのように、公衆の場所で大声でわめいている親父」 を多く見かけたものである。



発売当初のdocomo携帯電話に、カメラと i-modeなるものが付いているのか疑問であった。
しかし、 i-mode用メールに端を発して、パソコンのe-mailが定着したと言っても過言では無い。
今では、当時の携帯電話は 『ガラケー』 と呼ばれ、所持する者は少なくなってきたのだろう。
主流となっている 『スマートフォン』 は、パソコン用のインターネット機能を凌駕する程の機能を持ち、若者はこれが無ければ社会生活を送れないのかも知れない。

以前であれば電話料金やパケット代を心配しながら利用していた携帯電話も、最近のサービス料金は極めて安価になってきた。 しかし、安価とは言っても、5千円/月 程度は掛かるのだろう。
おいらの場合、勤め人時代には 『ガラケー』 のパケ放題を利用していたが、年金生活になってからは 『ガラケー』 を使わず専らパソコンを利用するので、携帯料金は基本料金のみだね。 当然、スマートフォンは使わない。
最近の行政サービスでは 『スマートフォン』 の機能を利用しており、高齢者でも 『スマートフォン』 の利用者が増加しているようだが、利用できない者は いずれ社会から隔絶されるのだろうか。

○○放題やe-mailを利用することで、遠距離電話をする場合にも のんびりとお話しできることは嬉しい。
しかし、10円玉の残りを心配しながら、「オセンナカスナ ウマコヤセ」 もので 短い時間に要点を伝える話術が薄れてきたことを嘆くのは、爺のノスタルジーだろうか。

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家族で楽しむ(学ぶ) パソコンは 一人淋しくスマホと戯れ

「第一種公衆電話」

WikiPedia:日本の公衆電話
長らく設置場所は公開されなかったが、2011年(平成23年)12月に、日本電信電話(NTT)は、早ければ2012年4月にも公式サイトで設置場所を公開すると発表[2]。その後、2012年(平成24年)6月28日に、NTTは全国の公衆電話約23万台の設置場所を翌日29日に公開すると発表[3]。

従来、電話機窃盗防止などの理由から、設置情報を公開しなかったが、設置場所公開に踏み切った背景には、前年に発生した東日本大震災の発生直後に、電話回線が輻輳し、都市部では地震直後に災害時でも繋がる公衆電話の前に、長い行列ができたことで利用が急増し、公衆電話の重要性が、改めて世間一般に再認識されたということがある。