信仰心も無く無宗教の一般的な日本人は、何故か「」という事に触れたがらないようだ。
特に未成年の目に触れるような、伝説や童話の世界では「死」を連想する記述はカットされる場面が多い。
家族の間でも「死に備えた話は避けたがる」傾向があるようで、政府からは「正月などに家族が集ったら相続と葬儀の話題」をするように勧められている。しかし、面と向かって「死」の話題をも出す者は少ないだろう。

「死」とは恐怖の大魔王なのだろうか、それとも穢れている事なのだろうか。いずれにしても日本人にはタブーらしい。古事記などに書かれている黄泉の国は死を連想させるのだろうか。神道では「死」を穢れとするらしい。
親が死んだ場合でも「死は穢れ」として捉える人が多いようだが、一般的な宗教では「死は次の次元への移行」であると教えられていると思うのだが....

そのように恐ろしい「死」であるにも関わらず、生きている事から逃れようとする者は「自死」を選ぶようだ。
死んだからといって、解決できなかった事が解決できるとは限らない。死んだからといって、自分の存在が失せてしまう保証は無い。要するに、死んだところで何も変わらないかも知れないのに、ただ死に急ぐだけだ。
水洗トイレに慣れ、ゲームの世界に慣れた者は、ボタンを押す事で見の前から邪魔物が消える事を知っている。同じように、死ねば存在が消滅するとでも考えているのだろう。死んだとて、以前同様に苦しむ自分がどこかで生きているのかも知れない。それでも自死を望む者を止めだてする気は無いが、痛そうだぜ。

クレオパトラは苦しまずに死ぬ方法として毒蛇に噛まれることにしたと聞く。毒蛇が痛くないかは知らないが、平均寿命が伸びた現代では死亡原因には事欠かない。世に知れた死亡原因の殆どは痛いらしく、爺婆から聞かされた「眠るような死」という死に方はなかなか無いようだ。
苦しい最期を迎えると言われるのが「肺炎」であり、心不全も痛い病気で、急性心筋梗塞は「バットで強打されたような痛み」との事だ。半面「がんで死ぬのは怖くない」という医療関係者は多く、その理由のひとつは患者が想像しているほど「痛い病気ではない」と『痛くない死に方』などの著書である長尾クリニック院長長尾和宏医師は語る。

「死」が痛いのかどうかはいずれ体験することだが、一生に一度だけの経験とは言うものの楽しみたくはない。
死んだ後の事は、後始末をする人が困らないように悩まないように、できる事は先決しておきたい。
そして何よりも「死に急ぐ」ことだけはしないように心掛けたい。
若者よ、「死」は穢れではない。しかし、美しい事では無い。ボタンを押せば目前からは失せても、無様に有る也。
ベストセラー米教授が問う 「死とは何か? 悪いことか?」│NEWSポストセブン

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