まだ7月だというのに、熱中症が真っ盛りである。(気象庁|平成30年の梅雨入りと梅雨明け(速報値))
マスコミは、大阪の地震や西日本の豪雨被害を話題にしていたが、最近では被害の話題よりも熱中症の話題に傾倒してきたように見受けられる。

上京した頃は毎晩のように飲んだくれていた。山手線の海側で飲む事が多かったが、給料日前の金欠期間は山側の安い店で飲む事になっていた。金欠とはいって見栄を張ってせいぜい新宿で飲むようにしていた。
更に金欠が進めば池袋や渋谷でも飲んだが、余程の貧乏状態以外はそこまで落ちぶれたくは無かった。
新宿で飲んで遅くなり横浜の自宅に帰れない時は、淀橋浄水場(現在の副都心)を歩いて抜け、初台の同窓生のアパートに泊まる事にしていた。夜中に転がり込まれる同窓生にしてみればとんでもない迷惑であっただろう。
当時のアパートの殆どは狭かったが、同窓生のアパートは特に狭く、京間作りの二畳間であった。畳敷き以外に布団を仕舞う為の棚が有ったが、居住スペースは二畳だけである。なんだかんだと言っても、一応は繁華街の新宿に近い場所なのだから、そんなモンだっただろう。今ならばあのアパートを借りる者はいないだろう。
同窓生一人だけでも狭いアパートに酔っ払いの俺が乱入し、1枚だけの布団に雑魚寝するのだから、朝は汗まみれ状態で目覚める。自炊設備の無いアパートには水道すら無く、前夜に汲み貯めしたヤカンの水で水分補給することになる。当然ながらコップは無く、ヤカンの注ぎ口から直に飲むことになる。思えば、随分と間接キッスしたものだ。
途中で同窓生も学習し、コカコーラのホームサイズに水を貯めることを覚えていたっけ。

山手線の北側で飲んだくれると西巣鴨の同窓生を訪ねた。SW西巣鴨駅を地上に出て隣のマンションに住んでいたが、勤め先のサラ金に貸与された物件だった為に、当時ですらクーラー付きの部屋であった。しかし商売柄、夜中に酔っぱらった俺が訪ねると日本刀を抜いて迎えられるのが困りものであった。

山手線の南側ではJR目黒から雅叙園脇を下って環六に出た所に有るアパートが定宿であった。他の所は窓が無かったが、ここだけは窓が開き当時のアパートという作りであった。しかし、環六に面していたため騒音で開けっ放しにはできなかった。(過去記事:目黒の居酒屋ぶらり / 目黒の映画館 / Y.K.氏 のこと / 漫画「寺島町奇譚」購入)

いずれも部屋も暑かったが、部活の最中にぶっ倒れてもヤカンの水を掛けらるだけの頃としては、当然であった。
当時は「日射病」という言葉はあったが、「熱中症」は聞かなかった、室内で高温障害が起こるほど暑くは無かったのか。それとも、有っても医者も含めて知らなかったのだろうか。当時は風通しの良い家屋が多かったしね~

最近では熱中症(熱失神⇒熱痙攣⇒熱疲労⇒熱射病)とやらで毎日のように救急車が走っている。中には死に至る人もいる。団塊世代と呼ばれる人達の中には「根性が足りない」とか「エアコンなんて、贅沢品」と言う者もいるようだ。そして、そのような者に限ってエアコンも使わず、熱中症対策にも耳を貸さずも実行もしていないようだ。
しかし、根性論で病気にならないということがあるハズが無いだろう。確かに気力で直る病気も有るようだが、神信心と同様にそれは最後の手段であろう。エアコンが無ければ、取り合えず経口補水液程度は飲むようにしよう。
「経口補水液」コンビニに置いていない理由 実は家で簡単に作れる? - withnews
とは言うものの、食塩とブドウ糖を混合した経口補水液を糖尿病患者が愛飲しても良いものか(?)疑問也。

異常気象と言われる最近は昔とは気候が変わってきているように思っていたが、天気データにも表れているそうだ。
「昔はエアコンがなくても大丈夫だったのは今より気温が低かったから」は本当か 日本気象協会に聞いた - ねとらぼ
一昔前の根性論では暮らせない気候になっているということだ。

今の日本でエアコンは必需品であるが、各家庭で冷却運転すると排気熱で周囲環境の温度が上がるという悪循環に陥るらしい。さりとて、東京ドームのように一定エリアを囲うのも現実的ではない。野々市市や近隣の住みたい街の小中学校は100%のエアコン設置率との事だが、古い行政ではゼロも有る。
我が家のように暇な爺婆はテレビのワイドショーからでも熱中症の知識を得られるが、学校の先生などはワイドショーを見ている時間は無い。彼らを教宣する方法を考えたい。体育を中止する判断力を含めて訓練したい。
未来はどうするのだろうか 取り敢えずは、2年後に迫った東京オリンピックか。自宅でエアコン観戦が一番だな。
関連過去記事:東京オリンピックは炎暑 / 2018梅雨
命に関わる「熱射病」…熱中症・日射病・熱射病の違い - All About NEWS