世の中には「百歳まで生きる」と公言する年寄りが多い。
言うまでも無いことだが、現在80歳の者ならば後20年も生きる計算だ。20年と軽く言うが、オギャーと生まれた赤子が成人する年数である。赤子は兎も角としても、成人した社会人が40歳になる年月だ。
国民年金で悠々自適とやらの老後を送るには永過ぎる年数なのではないだろうか。

俺は長生きすることは希望していない。もちろん早死を望むわけでは無いが、少なくとも百歳まで生きたいとは思わない。人生を半世紀も生きてくると、十分に生きてきたと思っている。
絵本の主人公である「100万回生きたねこ」ではないが、色々な人生を変えながら生きてみたいとは思わない。
ましてや、「1回しか生きられない爺」としては、これまでの人生だけで充分である。世界中を旅しようが、未知の美味い物を味わおうが、たかが知れている。百歳まで生きて新しい何かを経験したところでいずれは死ぬ身である。秦の始皇帝は長寿の薬を求めたというが、長生きして何をしたかったのだろうか。死ぬのが怖かった為なら臆病者に過ぎない。

何かで見た・聞いた、年寄りの言葉「いつ死んでもいい。でも明日じゃなくてもいい」。奇妙に納得する。
過去記事:生への執着心は