もうすぐ春分の日である。国立天文台が天文計算で算出した翌年分の『暦象年表』に基づき「春分日」が前年に閣議決定され、「春分の日」として官報で公告される。今年は03/21也。(来年の春分日は03/20)
暦要項における「東京」は、東京都港区麻布台二丁目18番1で、日本経緯度原点が設置されている。
03/18月曜日には彼岸の入りしており墓参りの年寄りが多いが、俺は鎌倉霊園を向いて牡丹餅を食う。

キリスト教やイスラム教は偶像崇拝を禁止されているのだそうだ。
それにも関わらず、イエスをはじめ色々な預言者などの偶像や絵が作成され、それは高値で取引される。
考えてみれば、それを拝んだところで何かがどうにか成るのだろうか。

その点、仏教では偶像だろうが禁止されていないようだ。墓石は勿論の事、地蔵の彫り物、仏壇の位牌から、岸壁に掘られた磨崖仏や偶々そう見えなくもない自然美。昼寝姿の釈迦は大いにありがたがられる。

宗教で禁止されていようと、いまいと、なんでも構わずに理屈をつけては拝む対象物を見つけてしまう。
エジプトのように復活を信じる宗教であれば、ミイラを拝む事はわからなくもないが....所詮は人間が描いた物や彫った物を拝んだところで....増してや、火葬された骨を拝んだところで致し方が無い。所詮はカルシュームの塊である。と言ってしまえば身も蓋もないということだろうか。
千の風になって」ではないが、対象物が目前に無くとも心は通じると思うのだが....
♪私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません
絵画や彫刻は芸術として見れば確かに優れた物と認められるが、だからと言ってそれに神や仏が宿ると思える・信じられることが羨ましくもあり、バカバカしくもある。洋の東西を問わず、神社・教会・寺などは死者を祀っている場所だ。さんざん悪行を重ねた者が、死後の幸せを望んで祈るのは浅ましい。
無宗教でも死ぬと仏教徒に成る多くの日本人は天国を口走るが、行先は地獄で、閻魔(地蔵菩薩)に裁かれる事を忘れている。そして、運が良ければ行けるのは天国ではなく、極楽である。