以前であれば昨日は小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたので成人式との事也。
正月と言えば暦の上では既に春。 直に梅が咲き、学び舎を立ち、友との別れがある。
過去記事:混雑する2022成人式
徘徊先のブログを拝読すると、退職し還暦を過ぎた年齢になっても同級会とか同期会と称するイベントが行われ、参加している人が多いようだ。
高等学校が最終学歴の俺は、卒業式の日に教師を交えて仲間ともども居酒屋でドンチャン騒ぎをしている最中を警察に踏み込まれたが方法の体で脱出し、深夜列車に飛び乗って上京して以来は高校の同級生には逢った事が無い。中学や小学校時代の人達で同級会が行われているのかは知らないし、行われていても行かないだろう。

小学校時代の卒業アルバムは有るようだが、どれが誰なのかは知らない。自分がどれなのかも知らないだろう。そもそも、小学校の卒業アルバムを仕舞っているのか否かすら覚えていない。
中学校の卒業アルバムの在り場所は見当がつくが、小学校アルバムと同様に、就職して以来見た記憶は無い。
しかし、童貞物語の英語教師と数人の女子生徒だけは薄っすらと思い出せるような気がする。

そんな程度の記憶力の俺だが、同期入社した奴らは覚えている。昭和43年は東京オリンピック景気が過ぎた後だったため、同期入社した人数はそれまでの採用人数に比べれば1~2桁少なかった。少ない人数だからと言って団結力が強かったのか弱かったのかは知らないが、良く集合しては飲んだものだ。
東京採用されたとは言え、任地は東京の各支店に分散されて配属される。そんなバラバラの任地から三々五々集まっては酒を飲んでいた。冠婚葬祭があると、同期生の産地にまで出かけては取り仕切るほどの付き合いをしていた。しかし、25歳ころからであろうか、皆が伴侶を持ちそれぞれの一生が見渡せるようになってからは、理由も無く集っては酒を飲む回数が減った。いや、飲み会は夫婦同伴で行うようになり、忘年会と暑気払い、それと何かがあった際という具合に整理されたのだが、やはり子供を放置して飲み会に参加するわけにもいかなくなってきたのだろうか。いずれにしても、飲み会の回数は激減した。40歳ころには、交通事故で死ぬ者や退職する者が現れ、9名であった同期入社は6名になってしまった。

同期に入社した者でも退職した時期はバラバラであった。40歳で退職した者は「帰郷して林檎農家」を始めるとのことで盛大にお別れパーティを行った。50歳を過ぎてから奥方死別した者が再婚するにあたり退職するとか、60歳近くなって再々婚するとか、飲み会の理由は多かったがその時に会うだけで若い頃のように暇を見つけては逢うことは無くなった。そんなこんなでも、半数程度は定年退職まで残っていたが、定年退職の際に集って同期会を飲もうという事は無かったようだが....俺は定年を待たずに退職したので細かな事情は知っていない。

俺の退職は、Jターンする為に忙しいという名目で、会社関係・友人関係など等の慰労会への誘いを全て断った。当然ながら同期の飲み会に参加するハズも無い。「立つ鳥、後を濁さず」的な事を考え、当時は美しい行いと考えたが、最近になって正直なところは後悔している。
立つ鳥の立場としては、退職の挨拶状も出さず、結果として新居の住所や連絡先は知らせなかった。一方、会社の定めとして「退職者は、個人の連絡先等も含めて会社関係資料の一切を持ち出し禁止」であった。結果的に、互いに行き方知れずになってしまったのである。

最近になって伝手を頼っては昔の仲間との年賀状を再開した。年賀状よりはe-mailやSNSを利用したコンタクトを行いたいのだが、意外な事に自宅でパソコンを使っているという同期や仲間が極めて少ない。増しや、ネットをしている者が少ない事に驚いている。しかし、パソコンでネットをしないだけで、スマホは所有しているようだ。

俺と同期入社した者達は、皆ライバル意識が強かったと思い出す。今になって交す年賀状もその意識が見え隠れするように読める。年賀状ですらライバル意識が見えるのだから、e-mailやSNSでは喧嘩になるかな...
と思いながらも、未だに同期会をしているという人達がまぶしく思いはじめた2019年の春である。
春よ、来い - 松任谷由実