日本の職人は、技を盗んで育つと言われている。
職人に限らず、物事をはっきりと言う事を美徳としない日本人は、教える事はしない。
曖昧な中から読み解く能力を褒めるのが日本人であり、空気を読み、忖度するのが日本人の特性だろう。
教える側としてが、教え方をわかっていないと言うべきかも知れない。
と言うよりも、教えるほどに理論立てて理解していないと言うべきだろうか。

鍛冶にしろ、大工仕事にしろ、経験論で成り立っているのではないだろうか。美しく言えば芸術的なのだ。
しかし、西洋文化と呼ぶものだって大同小異であろう。
土木工学と言えば如何にも学問のようだが、未だに土木工学で設計・工事した場所でも山崩れは起こる。
地震や気象といった学問は言うに及ばず、医学ですら経験論で成り立っている。こうしたら、こうなるかも知れない..という世界は、漢方医の時代と何も変わっていないと言うべきだろう。

その意味では、政治とは純粋に経験論によって成り立っているのかも知れない。騙しのテクニック也。
言わず語らず、教えなくともその技術を盗み取る事が、経験であり学びなのであろう。

日本のマスコミは、安倍草履が誰かと、ゴルフをしたとか、飯を食ったという事を「政治」の項目で扱うが、あんなことが政治なのだろうか。解散とか選挙とかが政治ではない事も明白である。