神様と仏様どっちが好きですか? | 何も無い 福井県のブログ 」を拝読し、グチャグチャと解ったような事をコメントしたら、『生きている間は「仏頂面」に成らないでほしい』と返コメを頂戴した。
「仏頂面」とは...と思うところもある。俺の知識の中では「ふて腐れた表情」という認識である。
テーマに関する俺風の解釈論をコメントしただけであり、ふて腐れたつもりはサラサラ無かった。

「仏頂面(ブッチョウヅラ)」という言葉の意味として地域性があるのかもしれないと思い調べてみた。
語源由来辞典コトバンクを見ても『不機嫌にふくれた顔つき。不平らしい顔つき』的な意味である。
概ねにおいて俺の理解と大差が無いようだ。すなわち、『子供っぽい文句・理屈』とでも言うところだ。
仏頂尊(お釈迦様の頭上(仏頂)に宿る広大無辺の功徳から生まれた仏)の面相が、無愛想で不機嫌に見えることから「仏頂」と言うとの語源もあるが、そんな見方で「仏頂面」と言われるハズも無い。
「不承面 (ふしょうづら) 」、「不貞面 (ふていづら) 」とも書くとの事だが、意味は同様らしい。
義務教育の子供の頃に親父に言われたような記憶があるが、なんとなく懐かしく思い出す。
管理人の「デコちゃん」は一回りほど先輩であり、俺が横浜に住んでいる15年程前頃にHP作りを通じて知り合ったように記憶する。俺の知識としては北陸新幹線なんて物には無関心だった当時に、福井駅周辺の駅舎工事絡みの写真を扱ったサイトを開設していた。彼は金沢市にも勤めていた経験があるとの事で、俺が当地野々市市に転居した後にも観光案内を申し出てくださるほどの精力家である。青春18切符を使って甲子園に高校野球の応援に出かけるとか、ウォーキング大会に出場するとか、スキーをするとかの何でも来いの体育系と見ている。そんな先達の教えには従わなければなるまい。
なるほど...とガテンしながら、これまでの俺のブログ記事やコメントを思い浮かべると正しく「仏頂面」である...と思い当たった。これが、ブロ友のできない原因であろう。
俺用の忘備録として書いているブログだから弁チャラを書く必要は無い..のだが、仏頂面する事は無い。
とは言うものの、「日本人は、自分は、正しい」的な話を聞くと、「色々な考えがある」って言いたいね。
「仏頂面」よりも、「ニヒル(虚無主義)」と言って欲しかった。

MHK「チコちゃんに叱られる!」の決めセリフになってしまった『ボーっと生きてんじゃねーよ!』だが、最近では使い過ぎの為に飽きてしまった感がある。あれも仏頂面だな。



改めて本記事の元となった「神様と仏様どっちが好きですか? | 何も無い 福井県のブログ 」を考える。
八百万の神を奉る古来日本には神教があったが、仏教の伝来とともに神仏習合へと変化し、キリスト教等を含め、国家としての宗教は無い。一方、各個人においては「死んだら仏教」的な感覚が多いと見ている。
廃仏毀釈(神仏習合を廃して神仏分離を押し進める、明治維新後に発生した一連の動き)を経た現代の日本人は「」と「仏」は別の存在として考える人が多いようだ。それとも、仏=仏陀を指しているのだろうか。
俺的には、『神は神』であり、『人間が行き着く仏』と理解している。更には『仏の中には悟りを開く者』もいるのだろう。また、キリスト教やイスラム教では『死後の世界観や生き方』が教義だが、仏教は『宇宙、物理的な事』を教える学問と考える。何にしても「神」と「仏」を対比して論ずる事ではあるまい。
いずれにしても、預言者は神ではない。しかし、人間の未来は皆、仏(死)である。日本的には神武天皇のように「仏が神と呼ばれる」ケースが多い。ということで、神様と仏様を比較する事は愚問である。