安倍政権は百歳人生とやらの空念仏で善人を躍らせて、70歳にならないと国民年金の受給をしない(?)とか言う。とは言うものの、人生のライフラインを考えてきた人たちの中には、春を迎える今日に退職する人も多いだろう。そんな人たちの心情的には、嬉しいような、寂しいようなと複雑なのかしらんと推測する。
2012年に63歳で退職した俺は、退職祝いとやらをしてくれるという周囲の厚意を固辞し、最後の勤務日にこれだけは断りきれなかった昼食会で祝ってもらった後、逃げるようにして東京駅に駆け込み金沢に向かう電車に飛び乗った。

俺のように「退職祝いは不要派」もいれば、「退職後も昔の職場・人間関係が忘れられない」人もいる。
ひと昔であれば社葬になるような仕事人間もいた。歌舞伎役者や落語家は舞台の上で死ねれば本望と聞くが、死ぬ直前まで自分が一生やってきた事を続けられることは、認知症になって俳諧するよりは良いかもしれない。その辺の議論は差し置いても、退職に際して何かのイベントをするのは想い出になるかもしれない。しかし、年功序列とか上下関係とかを排除する傾向にある現代のサラリーマン世界では、そんなイベントをしてやろうという心情はあるのだろうか。万歳三唱して花束を渡して、ハイさようならでは。

その点、芸能界の方が上下関係・先輩後輩といった信義を重んじているように見える。
最近では家族葬が増えたようだが、後日に「御別れの会」などが催されている。

昭和も40年頃までは、芸能人になるという願望を持つことは勘当ものであった。それでも勘当覚悟で親元を去った人たちの中から名を上げた人たちがいた。そんな人たちは世話になった先輩を敬ったのだろう。
そんな上下関係が歴然としている世界であれば、引退とか葬儀とかの人生の節目にはイベントを企画してくれる後輩がいるというものだろう。
とは言うものの、サラリーマン世界にも昔は歴然とした上下関係があった。今では先輩のキャリア的な知恵はGoogle検索すれば調べられるのだから上下関係なんて鬱陶しいだけの人間関係は求めないだろう。
同様に、家制度の時代には嫌な姑に頭を下げてでも教わらなければならなかった嫁の立場は無用である。介護とか葬式とかの鬱陶しい人生のイベントは避けて通れば済むことである...として育ってきた多くの団塊世代の女性たちが、余後を心配しているらしい。君たちに退職祝いは無いだろう..たぶん。

昔の芸能人は一芸に秀でる必要があったが、今どきは何だってかまわない。
最近では、何で...と思うような、殊更の芸も無く、歌も演技も下手な者たちが芸能人として生活ができる。昔であれば他人の前には出られないような面相の男女が整形手術と化粧の賜物で芸能界で仕事ができている。なにかと言えば「すっぴんなのに美人」とか、「美足を披露」とかの話題が乱れ飛ぶが、当然のことであろうと言えば叱られるのだろうか。

最近のNHKは、三流芸能人だろうが何だろうが見境なく使っている。昔はギャラが安くとも全国的に顔が売れる等の見返りがあったらしいが、今どきはNHKではなくとも見返りに遜色は無いだろう。そんなNHKに出たいという芸能人の心情を知る由もないが、本当に優秀な芸能人は面白くないだろう。
昔であれば、NHKに出る芸能人は役者でも芸人でも、昔の東大の卒業生のように優秀である事に決まっていたのだが...最近「御別れの会」をして貰える人達は、後輩に慕われた優秀な先輩であったのだろう。
女性タレントの「〇ッキー」とか、ジャニの「中〇」とか、未だに引っ張り出されてチヤホヤしているが、あの程度の芸人であれば掃いて捨てるほどにいるだろうと思うが...世話になった輩は律義也。
昔は「守るべき家族・組織」が有った。その為に爺・婆や長老・先輩は大事にされた。今では年寄りの知恵や経験は不要である。しかし、未だに芸能界では大事にする風習があるようだ。使う側と使われる側が順次シーソーで先輩になり後輩になりして互いに育てあいをしている。あれなら先輩は威張れる。
結論・・・・退職祝いをして貰えず、家族葬で旅立つ者は淋しがらない事。俺は直葬で満足できる。