生活習慣病という言葉がある。 「生活習慣」 から 「病」 になる場合を示す事のようだ。

一方、「病」 が 「生活習慣」 になってしまう事も多くなったように見える。 不安症の一種なのだろうか。
「心臓病」や「腰痛」だから、体を動かさない....という事は、そんなものかも知れない。
そもそも、感覚というものは人それぞれに異なる。
五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚) が呼ばれるものは勿論だが、『痛み』 や『 痒み』 というものの感じ方は人それぞれだ。
更には、その 『痛み』 や 『痒み』 を第三者に伝えるとなると、これまた人それぞれだ。 それを聞き取る者の経験やセンスによっては正確に伝わらないという場面も有り得る。
A地方出身の患者自身では 『痛い』 と感じることを 『痒い』 としか表現することができなくて医者に 『痒い(方言で、「もじょこい」』 と言ったが、B地方出身の医師には 『もじょこい』 の意が伝わらず、簡便な診察を受けた...ような場面も有り得るだろう。
動悸することに不安を感じて病院に行き、「心臓病」かも知れないことを医師から宣告された者は、それ以降は動悸を感じる都度に「心臓病による死亡」 の恐怖に脅えることになるだろう。
しかし、動悸すると感じるのは患者自身の感覚であり、同じ程度の動悸であっても異状であると意識しない者もいるだろう。
異状かも知れないと思って診察を受ける行為そのものが「病」の始まりであり、それに脅えながら暮らすことは 「生活習慣」 と思える。

また、一度動悸することを体験した者は、その後に起こる事を予見しているようだ。
その予見は、過去に体験したことによる場合や、見聞きした知識による場合もあるだろう。
しかし、あ~来そう というのは、どうもいただけない。
とは言うものの、場所が場所なだけに、心配になることは大いに理解できるのだが..

心臓病のように大きな病気が想定される時は、それなりに心配しよう。
だが、小さな病気でも、理性が否定しても体が覚えてしまった場合は、過去の体験が繰り返されるのは不思議だ。 慌てて受診しても、「異状無し」を告げられる。いわゆる気の病ということか?!
でも、『痛い』 ことと 『辛い』 ことを話して、『大丈夫だよ』 と言ってもらいたいんだね...きっと。