安部草履の思い付きではじまった休校措置は、これまた中途半端と思われる時期に学校再開とのこと。
再開にあたり、文科省はガイドラインとやらを示したとのことだが、既に現場の学校や最寄りの地方自治体のほうがより良さそうな施策を行っているのだから、今更大きな世話であろう。
「学校再開ガイドライン」詳しい内容は? | NHKニュース
まぁ、それはそれとして....「再開する上での動機が不純である」と見る。
終業式や卒業式といったイベントをやりたいために再開する学校が多いようだ。
そしてイベントには生徒の親どもが付いてくるようだ。

俺の場合は、小学校の卒業式あたりまでは親が付き添っていただろうか。しかし間違いなく、中学校の卒業式に親は来なかった。周囲も同様であり、70人以上いたクラスの中に、付き添いの親がいたとしても1名程度であった。その歳になってまでも親離れしていなければ、子供の立場としては極めて恥ずかしい事であった。付き添いを振り切れなかった子離れできない親も極まれにいたが、そんな親を持つ子供は在学中は冷やかしの対象であり、現在であればイジメの対象になったであろう。
当然ながら、高校にしろ大学にしろ親と同行することは有り得るはずがない。
今どきの親は、高校だろうが大学だろうが入学式と卒業式には当然のごとく付きまとうようだ。入学試験の合格発表には爺婆までもが付いてくるという過保護な子供もいるようだ。そんな子供の中には入社試験にまで親の同行を求める者がいるそうだから、世も末と思う。
そんな親子関係なのだから、新型コロナに感染するリスクがあろうとも無理やり学校を再開して親子共々卒業式に参加して泣きの涙にむせばなければならないという舞台設定になるのだろう。

しかし、さすがに死ぬかもしれないリスクを冒してまで親子共々で参加する卒業式を避けようとする学校も少なくないようだ。しかし、親が来ないだけのことで、生徒はズラリと並ぶ卒業式が多いようだ。
あの舞台設定は、教員側それも校長の自負心を補うためだけの事である。俺的に思えば、卒業式で延々と校長の能書きを聞きたくもなければ、担任教師などとの惜しまなければならない別れは無かった。
だから、今年の様に簡素化した舞台設定は望ましいと考える。校長の能書きなんてものは、校長自身が語りたいだけであり、市販の校長の挨拶見本を読み上げているだけである。
要するに「学校側から押し付けられ、セレモニー化した卒業式は不要」である。そんなセレモニーであっても嬉しいと感じるのは、今では親の立場になった50歳代の育った環境であり、そのを50歳代育ててしまった70歳代の失敗である。

卒業式。悪いセレモニーではない。しかし、学校側が恰も当然の事として送り出すのではなく、生徒側から教師に対する感謝を表すための自然発生的な感謝会になって欲しい。結果、教師が人気のクラスでは感謝会があり、不人気では無しという事態があっても良いだろう。学校側の御仕着せ卒業式は不要である。

俺の高校卒業式では、式次第が終わってから担任教官達とともに居酒屋に繰り出してドンチャン騒ぎであった。夜も更けたころ警察のがさ入れがあり、参加者一同で三々五々に逃げた。同夜に予約していた上京の為の寝台車に飛び乗った。懐かしの担任教官達とは以降音沙汰無しである。馬鹿者どもの大半の者が卒業証書は紛失したらしい。当然、俺は無い。

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