昔、オスマン帝国があった。
WikiPedia:オスマン帝国より抜粋引用
小アジアの片隅に生まれた小君侯国から発展したイスラム王朝であるオスマン朝は、やがて東ローマ帝国などの東ヨーロッパキリスト教諸国、マムルーク朝などの西アジア・北アフリカのイスラム教諸国を征服して地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国たるオスマン帝国へと発展した。
17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロヴァキアに至る広大な領域に及んだ。
オスマン帝国の首都となったこの都市は、やがてイスタンブルと通称されるようになる。
現在のトルコ共和国がオスマン帝国の末裔にあたる。
十字軍と戦ったオスマン帝国の強さはムスリム(イスラム教徒) であるが故にだろうか?
東ローマ帝国を滅ぼした15世紀には、強い国家が弱い国家を自国とすることが常識であったようだ。

現在では侵略と呼ばれ国際的な非難を受ける事であろう。
第二次世界大戦以降は、西欧列強とU.S.A. が身勝手に作ったといっても過言では無い国際連合の定めるところにより、勝手な国家樹立は認められていないようだ。
国家とは何ぞや(?) という大命題はさて置き、その時代の西欧列強が帝国主義の名の元に世界各地を植民地化し、当時の植民地の分割に従って独立国となっていることは如何なものであろうか。

世界的な平和を実現する為には、国際連合の存在意義を認めざるを得ないのかも知れない。
しかし、オスマン帝国が自国領土を平和に支配してきた歴史を振り返れば、イスラム教を信じる国民が作る国家間で紛争を行うよりは、オスマン帝国のような強国が出現することもよろしいのだろう。

第一次世界大戦により崩壊した多民族帝国オスマン国家が存続していれば、現在のイスラエルでの悲劇は起こらなかったのかも知れない。 ※WikiPedia:アラビアのロレンス

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