無無無庵

(むさんあん) - 思考が無く - 躰が無く - 心が無く
団塊世代のセカンド・ステージ - 退職親父のボケ封じ

旅のアルバム

鹿角の大日堂

高校時代迄は、それなりに遊びに行っていた八幡平である。
上京した後に訪れることが無かったが、寄る年波からか(?)、死ぬ前にもう一度と思い2001年(平成13年) に行ってみた。 その後、再訪したいと考えた際に 東北未体験の女将が同行を希望した為、2004年(平成16年)7月 同伴旅行することになった。

宿泊地としては、後生掛温泉とした。 鎌倉から後生掛温泉迄の交通はなかなか不便であり、約6時間といったところか。 秋田新幹線の田沢湖駅から路線バスで1時間以上かかるのだから、致し方ない。
路線バスに揺られて後生掛温泉が近づくにつれ、温泉地独特の卵の腐ったような硫化水素の匂いがする。
当然、宿でも硫化水素が匂うのだが、女将が匂いが嫌だと言いだした為、予定した部屋を多少なりと匂わない部屋に変えてもらうことになった。
風呂も匂う為、入浴できず 水で躰を拭くことで我慢する始末。 結局 女将は、3泊中で1度も入浴せず。

2日目は、花輪町に出張ることにした。
帰りの便を考えると8時頃には出立しなければならないのだが、後生掛温泉からその時刻に立つバスが無かった為、ホテルの車でバスのある志張温泉まで送ってもらえることになった。
路線バスに乗り込み、まずは大日堂舞楽が奉納される大日霊貴神社を訪ねた。
子供の頃には随分と大きな神社という記憶であったが、改めて見ると村の鎮守というった感じ。
大日堂
通称は『大日堂』と呼ぶ大日霊貴(おおひるめむち)神社では、毎年の1月2日にユネスコの無形文化遺産である大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)が奉納される。

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無人駅のJR八幡平駅は、駅前に雑貨屋という感じの店が1軒。 
ディゼルカーで運転される列車は 1時間に1本程度、路線バスも同様で、交通機関が少ない為、1台しか無いタクシーで花輪に向かう。
花輪は、現在は鹿角市花輪と称するが、以前は鹿角郡花輪町と称する この地域では大きな町であり、JR花輪線の名前ともなった。
花輪でタクシーを乗り換え、おいらの住んでいた場所に行ってみたが、昔と変わらぬ質素な風景にガッカリ。
そのまま、道の駅かづのに向かう。 通称 あんとらあ とも呼ばれ、花輪ばやし・花輪ねぷた・鹿角の盆踊り等を一堂に見学できる。
WikiPedia:花輪ばやし
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施設前では、地元の草花の販売がなされていた。

【食虫植物】
DSCF0033

地元名産の切りタンポを昼食にして、宿に戻ることにした。
後生掛温泉(八幡平山頂) 方面に向かう路線バス迄の時間が長い為、JR田沢湖方面から来る路線バスに途中で乗り換えることにした。
しかし、それぞれの路線でバス会社が異なるせいか、バス運転手は乗客の思惑などにはお構いなしである。
遅れて到着した乗り換え停留所の傍には、北緯40度線が通過しているとのことでモニュメントがある。
乗り換える予定路線のバスも遅れていたため、事なきを得た。
秘湯名湯 028後生掛温泉


3日目は、八幡平山頂に向かう。  宿に戻り、硫化水素の匂いを嫌う女将を連れて後生掛自然研究路を散策。
後生掛自然研究路2013秋


写真共有サイト「フォト蔵」
2001年09月-秋田八幡平
2004年07月-秋田八幡平
2004年11月-秋田八幡平
2006年09月-秋田紀行

後生掛温泉の今昔

WikiPedia引用
後生掛温泉(ごしょうがけおんせん)は、秋田県鹿角市(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)にある温泉。
岩手県と秋田県県境の八幡平(火山)山頂から少し西側に位置し、八幡平アスピーテライン沿いにあり、山の中にしては比較的交通の便がよい。
「馬で来て下駄で帰る後生掛」と謳われたように、昔から効能の高い湯として知られている。
後生掛温泉は昔からの湯治宿で、一温泉一軒宿だが、外見上は、「本館」「新館」「湯治棟」に分かれている。
湯治宿の面影を色濃く残す湯治棟は自炊が基本。
宿舎の床下に蒸気を通して暖める「オンドル構造」になっていて、自室で寝ているだけでも湯治効果があるという。
大浴場はかっては全て混浴であったが、今は男女別となっている。
木製の箱の中に頭部だけ出して入り、蒸気で温まる「箱蒸し風呂」は、昔、「原始トルコ風呂」と呼ばれていたころから後生掛温泉の名物となっている。
ほかに「露天風呂」「泥風呂」「火山風呂(気泡浴)」「打たせ湯(滝風呂)」などもある。日帰り入浴も可能。
源泉は4種類。宿の裏側には泥を吹き上げる墳気口や泥火山などを観察できる「後生掛園地」がある。
宿は秋田焼岳の登山口にもなっている。また足湯も設置されている。
高温の源泉を利用して作られる温泉卵が名物。
硫黄分が多いため、卵の殻が黒く変色しているのが特徴である。

後生掛の地名の由来には以下のような伝承がある。
約300年前に、三陸地方出身の九兵衛というものがこの地に住んでいた。九兵衛が重病で苦しんでいた際、恐山巡礼の途中の女性の看病を受け、回復後その女性とともに暮らした。3年後、三陸から九兵衛の妻が当地にやってきた際に、巡礼の女性は源泉地の谷に身を投げた。それを知った九兵衛の妻もまた、「後生」を「掛」けて源泉の谷に身を投げた。以降この地を後生掛と呼ぶようになり、また源泉をオナメ(妾)の湯、モトメ(本妻)の湯と呼ぶようになった。
昭和34年9月3日、後生掛温泉を含む八幡平温泉郷国民保養温泉地に指定。

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鍋・食器等の炊事道具一式をレンタルすることができ、食材も湯治部の売店で揃えることができる。
通の人達は、家族が運転する車で送迎され、一週間程度の食料を持参する。
持参した食料が無くなる頃、「湯治見舞い」と称して、食料を持った家族が遊びに来るという仕掛けなんだね~。

昔の後生掛温泉です。
古い写真をデジカメで写したので、画像が荒れてます。
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下は、当時の蒸し風呂です。
orig_DSCF0054


この写真を撮った頃の後生掛温泉HOTELに行く道は、現在と違います。
現在は、ホテル部の東側(山側)に立派な道路が通じていますが、あの道はアスピーテが開通した際に作られたものでしょう(たぶん?)
以前、後生掛温泉に行く道は、現在の浴場棟に抜けるように通っていました。
後生掛温泉HOTEL山水館の在る位置付近に赤川温泉・澄川温泉から抜ける道があり、その道から小川に沿って小道が有り、蒸ける沼の中を通って湯治部小屋に出ました。
湯治部小屋からは浴場棟が正面で、湯治部受付棟やHOTEL棟は見上げる位置にあり、湯治部しか泊まったことの無い子供の小生には「千と千尋の神隠し」のホテルのように見えました。
くだんの蒸し風呂は、前述の湯治部小屋よりも手前側の蒸ける位置に建てられた小屋に在りました。5年程前に訪問した際には、小屋の残骸木片が有りました。
写真でも判るかと思いますが、6個設置されていましたね。



関連過去記事:八幡平温泉郷の昔

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2001年09月-秋田八幡平
2004年07月-秋田八幡平
2004年11月-秋田八幡平
2006年09月-秋田紀行

山中温泉ぶらり

山中温泉に行くと恒例にしていた永平寺行きは見合わせ、温泉の観光スポットを再見物してみることにした。

温泉内を40分で巡回し乗り降り自由で2日間有効の「お散歩号」バスに乗り、以前より気掛かりの神社に行って見た。

2014103041

思いのほか、立派な佇まいの神社である。

女将の歩行が辛くなってきた様子につき、昼食の蕎麦を共にした後は、一度宿に戻った。
女将を部屋に置き、儂だけブラリ散策を続けることにした。
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温い日となった為、あまり足を伸ばす気にもなれず、あや取り橋付近をブラブラ。
2014103043    2014103062

昨年の秋に訪れた時期よりは1週間ばかり早かったが、だいぶ紅葉しているのが見受けられる。
しかし、紅葉狩りには適していないようだ。
続きを読む

「弥山」に登ろう

本名は 「厳島(いつくしま)」だが、字名「安芸の宮島」 のほうが著名だ。 その中央部に弥山(みせん)がある。
過日(2008年) の広島出張の際、安芸の宮島まで足を伸ばして、その存在に気が付いた。
弥山(標高535m) の存在は知っていたが、何やら山頂に向かってケーブルカーが運行されているのだ。
「へ~、あの山にケーブルカーで登れるのか!?」 ということだ。
おいらは勿論の事、やたらと全国出張で歩いているK.I.ですらケーブルカーの存在を知らず、早速乗ってみようということになった。

そのケーブルカーは 「宮島ロープウエー」 というものであった。 宮島ロープウエー公式サイト
宮島の 「紅葉谷駅(紅葉谷公園)」 と 弥山の 「獅子岩駅」 を結んでいる。
(途中に榧谷(かやたに)駅があるが、この駅での乗下車はできない。)

「紅葉谷公園入口」 から 宮島ロープウエーの始発駅 「紅葉谷駅(紅葉谷公園)」 まで無料送迎バスに乗り、同駅から終着駅である弥山の「獅子岩駅」に向かった。
2Kmに満たない区間を15分程の乗車時間であったが、天候に恵まれて瀬戸内海を望みながらのあっと言う間の楽しい時間である。
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「獅子岩駅」 付近は、ちょっとした展望台があり、瀬戸内海を一望できる。
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ここから更に山頂に登れるとのことであったが、出張サボリのビジネス靴で来た身であり、最終便を告げる宮島ロープウエーのアナウンスに追いかけられるように下山することになった。
山頂には、2013年に建て替えられた展望台 「宮島弥山展望休憩所」 があるそうだ。上記と同じ物かは不明?

弥山には、ロープウエーを利用せずとも徒歩にて向かうコースも多いようだ。
また、「弥山の七不思議」 なる物もあるとのこと。
NHK大河ドラマ 「平清盛」 が放送されている頃は混雑が予想されたため遠慮したが、もう落ち着いたであろう。
何故か最近になって四国訪問に憧れが持ち、併せて再訪したい場所のひとつである。

秋田市探訪

2006年(平成18年) 初夏、青春時代を過ごした秋田市を訪ねた。
これで秋田も見納めという思いで、八幡平鹿角市に向かうついでである。

久保田藩の城下町とはいうものの、小さな町だな~と改めて思う。 市町村合併により人口は少なくはないが、中心部は昔の佇まいである。

千秋公園の名が知れている久保田城跡を訪ねる。
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春さきには蓮の花が咲き乱れる堀だが、すでに特別のことは無い。

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久保田城の二の丸になるのだろうか。 佇まいは昔のママだ。
ふと高校時代を思い出すほどに、なにも変わっていない景色。

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久保田城を通り抜けると細い階段がある。
リンゴ箱に砂を入れて、この階段を上り下りしては足腰を鍛えたものだった。

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単線の鉄道が走る鉄橋は、悪行の想い出が多い場所だ。
  • 鹿角郡花輪町から転居したばかりの頃、近所の子供と喧嘩したところ親が怒鳴り込んできた為、親父に木剣でしこたま殴られ、おいらは悪くない..ということで家出した時に渡った鉄橋。
  • 自転車のブレーキ管に火薬を詰めて作った鉄砲の試し打ちをした鉄橋下。
  • 渡っている時に列車が来て、慌てて逃げた鉄橋の避難スペース。
  • 大水の後は、大漁を狙って魚釣りした鉄橋下。
彼方に臨む大平山(たいへいざん) は、母校の校歌にも歌われていた。
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母校を覗き、市内をブラブラ。 仕上げは、秋田市の繁華街である川反(かわばた) に立ち寄り。

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写真共有サイト「フォト蔵」
2006年09月-秋田紀行

写真の整理でも

撮影と言うか(?)、カメラ弄りというか(?)...とにかく写真が好きだったおいらは、随分と写真が有る。
いや、正確には有ったと言うべきかもしれない。

中学校の北海道への修学旅行だったと思うが..貰った小遣いを叩いて旅先(たしか、昭和新山) の土産物屋で小さなカメラをフィルム込みで五百円くらいで買い求めたのが初めてマイカメラだった。
戦前からツアィススの蛇腹式カメラを使っていた親父の影響があったのだろうが、カメラを持つことはステータスだった。 当時は子供がカメラを持つことは贅沢であり、周囲の男子からは羨望の目で見られていた。
高校生となってからはアルバイトをして貯めた金で、新製品が出るとあれこれとカタログを見ては買い替えていた。
社会人になってからは、年に2台以上は買っていた。
元来が新しい物好きなところに、カメラのメカニックなところが性に合ったのだろう。
フィルム式の時代には、現像・焼き増し代がバカにならない費用であったが、結婚式の撮影を依頼される等を繰り返しているうちに一端のカメラマン気取りで、撮影しまくりの貧乏所帯は女将に苦労させたことと思う。
8mmカメラに目を向けた時もあったが、現像代が掛かることに変りは無く、動画というものには関心を持てなかった。
その後、ビデオカメラも弄ったが、結局は静止画が好みであることを知った次第である。

そうこうしている内に、デジタルカメラが出現した。 新しい物好きとしては すぐに飛びついた。
現像・焼き増し代が不要なことは、貧乏人としては大歓迎したが、まだまだデジタルカメラは色々な面でフィルム式カメラには追い付かない頃だった。 しかし、あっという間に、取って代わってしまった。
以降は、デジタルカメラで遊んでいる。

これまで二百台を超えるカメラを買い使ってきたが、新しい物に買い替えると古い物はすぐに売却してきた。
下取りと言えば聞こえが良いが、質屋に行ったきりのものも随分とあった。
今になってみれば惜しいことをしたと反省している。古いカメラの陳列を試みたが、ネット上でもカタログデータが無い。 現在手元には、4台のフィルム式カメラ(内、1眼が1台) と、6台のデジタルカメラ(内、1眼が1台。2眼が1台) が残るだけだ。 しかし、視力低下の為、ファインダーのついている物以外は殆ど使わない。

撮影した写真はそれなりに有るものの、フィルム式カメラの写真は可哀そうな状態になっている。
ラミネート式アルバムに張った写真は空気に触れない為、色彩等の劣化は少ないが、古いアルバムに糊付けしたような写真は『何じゃこれは?!』という状態だ。
ネガを保存していた物は、退職前に東京で ネガ ⇒ デジタル化 したのだが、元のネガが劣化していた為、期待するほどの再現力は無かった。
デジタル化 を行った後には古いネガを処分し デジタル写真で見るようにしたので、現在手元に残る写真は少ない。 暇になって思うには、なんとも淋しいかぎりである。
アルバムに張りつけた物の中で『これだけは』と思う物をデジタルで接写することを考えるが、何とも面倒なので保留・検討の状態だ。

最近デジタルカメラで撮影した写真は、プリントアウトされることすら無く、アルバムに張られることが無い。
パソコン内の写真フォルダーに格納され、偶に見られているだけだ。
当地に転居してからはデジタルカメラで撮影することは旅行等の場合だけと少なくなり (カメラ持参で散歩する気にならない) 、殆ど携帯電話の付録カメラで撮影するようになった。 携帯で撮影時は構図確認できないので、見当で構図。 このブログの写真は、携帯写真ばっかり。
携帯電話のカメラで撮影するとパソコン内の写真フォルダーにすら格納せず、携帯メールでフォト蔵に飛ばしてしまう為、手元には何も残らないという状態である。

パソコンは勿論、インターネットも触らない女将が写真を見たいと思っても 見る手段が無いという現状は困ったな~ということで、少し写真の整理をしようと思う次第である。

長野善光寺

2008年の年度末。 長野に出張した際のこと。
新幹線の窓からは、一面の雪景色である。
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翌日は、長野善光寺を見学。
「牛に引かれて善光寺参り」という言葉から、善光寺とはここだけなのかと思っていたが、全国に善光寺が在ることを知り   へ~。

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