無無無庵

(むさんあん) - 思考が無く - 躰が無く - 心が無く
団塊世代のセカンド・ステージ - 退職親父のボケ封じ

薄れゆく記憶

出身地に見る帰巣本能

 一昨日前からの降雪は断続的に続いている。予報では明日の午前中まで続くそうだ。雪は飽きた
今日は2月13日。退職予定者も就職予定者も、それぞれ準備を始めているのだろうか。

秋田県出身の俺が、終の棲家として石川県を選ぶというのも珍しいだろうと思う。
秋田県の中でも、生まれ在所の鹿角郡(現・鹿角市)は奥羽山脈の分水嶺へと続く寒い地域である。小学校低学年の頃に親父の転勤に伴って転居した秋田市は日本海からの西風が寒く、鹿角市ほどではないものの冬季は朝の除雪から一日がはじまった。小学校から高校まで、出社前には大通りへ続く私道の雪掻きをしていた親父の姿が冬の景色の一コマであった。そんな寒さに嫌気が差したのであろう親父は、退職が見えた時点で暖かい地域へ転居した。

そのおかげで俺は、極稀には雪が降り、些少の雪に大騒ぎするような横浜市に住み、秋田での寒さや雪なんちゅう物とは縁遠い生活を堪能して人生の大部分を暮らす事ができた。退職間際に移り住んだ鎌倉も、寒さの話題は出ない土地だった。
そのような暮らしができることは、出征前は東京で暮らし南方で終戦を向かえた親父の、「雪の降る寒い所で暮らしたくない」という暖かい土地への憧れがあったからだったのだろう。

♪あぁ、それなのに...バカな倅はまた、豪雪地帯と認定される石川県で死ぬ道を選んでしまった。
どこで死んでも同じだろうと考えた上での土地選びであったが、いざ暮らしていると年寄りとしては寒さが堪える。
しかし、太平洋側の「地震が来るよ」と脅かされる地域よりは安心して暮らせると言うべきか。とは思うものの、老後や死後を心配するくらいならば、いっそのこと予想しない巨大自然災害で死ぬというのも悪くは無かったな~と思ったりもする。それでも、天下の首都圏で老後を暮らすよりは、Jターンした事を是と考えている。(Uターン / Iターン)
なごり雪 - イルカ (伊勢正三が作詞・作曲したかぐや姫の楽曲)



俺の知る団塊世代の人達では、東北出身者の就職先は「東北第一の都会である仙台」が多かった。東京圏に就職した者は少なく、居ても早い時点で東北圏にUターンしている。少なくとも退職すればUターンしている。
一方、鹿児島出身者の就職先は東京圏が多かった。(何故か俺は、関西以南の人、特に鹿児島県人は大好きだ) 鹿児島以外の九州圏出身者の就職先は「九州第一の都会である福岡」が多かったと聞くが、福岡を素通りして大阪圏を選ぶ者も多かったと聞く。しかし、福岡や大阪圏への就職者の状況は知らない。俺の知る東京圏就職組の鹿児島出身者の場合、東京圏で作った家を終の棲家としUターンしない者が多い。勿論、東北出身者と同様に早い時点で九州圏にUターンした者もいるが、圧倒的に戻らないと決めた者の方が多い。
昔の地方出身者は「東京に行かなければ有名になれない」として上京し、有名に成れず故郷に錦を飾れなかった者が多かったようだ。また、有名に成っても故郷へは戻らなかった者も多かった。
東北出身者と九州出身者を比べても、帰巣本能に差異があるのかは解らない。
しかし、故郷を出るにあたっての覚悟として、「帰り易さ」のポイントは高いのではないだろうか。

今では新幹線で日帰りできる故郷が多い。しかし、俺が秋田から就職上京する頃は汽車ポッポで1日掛かりだった。あの距離と時間は「故郷を捨てる」と身に染みて考えるには十二分であった。過去記事:東京に行く事
一方、九州出身者は当時最先端の寝台車を利用したと聞く。「目が覚めれば到着」していた距離感は「身近な故郷」感覚が残るのではないだろうか。古くより、沖縄からの就職者には飛行機を利用させたそうだ。これは、長時間掛けて海を渡った遠い故郷という感覚を拭うことで、ホームシックにならないように取り計らった事と聞く。

政府の中央官庁勤務者は、出身地によって勤め先が決まる的なことが未だにあると聞く。また、聊か古い話題だが、警視庁には鹿児島出身者が多く、銭湯を営むのは新潟出身者が多いそうだ。
先輩の伝手を頼りに故郷を離れ、先輩の指導を受けながら人生を歩み、そして上京地で花を咲かせ散る...

今東京で先祖代々の江戸っ子を気取っている人達は、徳川の城江戸の町を作る際に茨城あたりから連れてこられた作業員と女郎との間に生まれた子供の子孫だろうか。その子孫が「徳川様の世」から代る時に進軍して来た薩長の田舎侍と懇ろになって東京ができたかと考えれば、東京の有難味も薄れるというものだ。WikiPedia:江戸言葉
もっとも、古代より日本全国で男性の移動は盛んだったというから、地域の固定種は女性だけかも知れない。

今年(2018年)の3月31日に退職する人達は、1952年(S27)生まれの人達(182.9万人)で、いわゆる「ポスト団塊の世代」とか「しらけ世代」と呼ばれる年代だ。団塊世代新人類との繋ぎとなり、バブル景気が起こる前に成人した。
1950年代前半に生まれた世代は高度経済成長時代初期に小学校入学、大学進学率は20%ないし30%であり、「金の卵」として中卒や高卒で集団就職した者が多かったとのことだが、退職後の彼等は故郷に帰るのだろうか。
1952年12月31日に日本劇場第4回NHK紅白歌合戦をテレビ・ラジオ同時生中継。この回から紅白は毎年大晦日に開催となった。日劇は惜しまれて過日(02/04)営業終了した。紅白音楽試合は執拗に続くらしい。
マンガで読む NHKヒストリー | 特集記事から探す | NHKアーカイブス
俺も長生きした場合に備えて、少し若い年代の気の合いそうな地域のネット友を探す事にしよう。

ふるさとのはなしをしよう
 歌詞
歌:北原謙二     作詞:伊野上 のぼる     作曲:キダ・タロー


関連過去記事:野々市の人になって1年が経つ / 44年が過ぎる / 東京圏の年寄は脱出を

三十路の俺は

最近の結婚年齢は遅いらしい。 大都会では30歳を過ぎた女性でも慌てる事は無いようだ。
と言うよりも、結婚するという気持ちが無いとも聞く。しかし、皆無ということではなく、理想の相手に当たらないということらしい。理想を云々と言えるほど選べる立場なのかは知らないが、結婚するならば早いうちが良かろう。
孫のような年代の子供を可愛がる親というのが、美しい景色には見えない。

俺の親父は二度徴兵された。そして太平洋戦争後に俺が生まれたのは、母親が39歳。父親が43歳の時だ。
概ねは、現代の都会の夫婦の初めての出産年齢であろう。
今にして考えれば、39歳の女性ならば「アラサー」とか言いながら街をぶらつくのだろうか。
以降、高卒で就職した年に親は既に60歳を過ぎていた。俺が働き盛りとなった30歳代には古稀を過ぎていた。
今の俺よりも高齢に達していたということを改めて感じるものの、当時の俺としては「親は親」とい感覚であった。
「仕事が忙しい」という大義名分を振り立てて、親の事を考えることも無く、未来を語り合うことも無かった。

因果応報とも言う。そんなものなのだろう...と思う昨今である。

SpaceXのファルコンヘビーがどのように飛んだのかを公式CGアニメで見てみよう | ギズモード・ジャパン

SpaceX YouTubeより

女将は出立

女将は横須賀の歯医者に出掛けた。 前回(2017/08/07)同様に単独行である。
帰宅は11/29の予定。転居以来、これで上京回数が既に4度目になるのか
俺は新幹線未体験どころか、眼の手術騒ぎと左肩骨折騒動で2年は電車に乗っていない。
ライブカメラにて金沢駅から新幹線が出ていくのを確認したが....俺も出掛けたいな~

北陸新幹線 金沢駅ライブカメラ Kanazawa Station Live Webcam Ishikawa, Japan

北陸朝日放送公式ページ より
JR西日本列車運行情報 / 時刻表

一切れのパン

朝は食パンを一切れと決めている。それも、六枚切りだ。
今の住処で暮らしだしてからはもっぱらトーストすることに決めている。
トーストする香りを楽しみながら、何を塗るかを考えるのは数少ない思案のネタの一つだ。
とは言うものの、バターにするかジャムにするかの二つの選択肢しか無いのだから、悩むほどのことではない。
糖尿病持ちとしては何も塗らないという選択肢もあるのだが、それでは余りにも寂しいだろう。
青少年の時代は母の愛がこもった米の御飯を食べていたが、就職して大酒を飲むようになり二日酔が多かったので、朝食は食べないことにしていた。しかし、50歳を過ぎた頃から始めた糖尿病の治療で「糖尿病薬を飲むと血糖が下がることがあり、それを予防する為には朝食を採らなければならない」と申し渡され、渋々はじめたことが続いているということだ。 食べたくて食べているのではないため、最低限の食パン一切れということで落ち着いている。
塗る物としているバターorジャムは、指導入院の際に病院で出されたからであり、効果の程は理解していない。
以前はトーストしていなかったが、北国を終の棲家としてからは暮らしの余裕としてはじめた。早い話が暇つぶし。
本格的に治療に取り組んだ頃は医学の知識も薄っぺらであったが糖尿病というものは他の病気と同じように完治するものだと思っていた。これから仕事を辞めるのだから、その前に治しておこうという甘い考えであった。あの頃は、以前は行かなかった人間ドッグを受けたりと前向きな人生だった。
しかし、糖尿病は治らないということを知り認識したころから俺の老後が順調にスタートしたのだろう。
六枚切りパンを食べた後のアイスコーヒーを味わいながら、長いのか短いのかは見えない未来を思う日々だ。

関連過去記事:ひとりの時間に / 食パンの皮 / 朝食って

女将は出立

女将は横須賀の歯医者に出掛けた。 既に新幹線の中であろう。前回(2016/03/22)同様に単独行である。
記事を書き終える頃には、富山駅付近まで行ってしまうのだろうか。

往路は兎も角、復路は丁度お盆の帰省に絡んだ混雑時期と重なるが、旅慣れていない人の事で些か心配也。


心配症の女将は、だいぶ以前から台風5号の接近を気にしていたが、現在の様子では日本列島を縦走しそうだ。
迷走していたが、その後は九州の西側から日本に接近するとの予報がだんだんと東側ルートに変わり、とうとう当地よりも随分東側を通りそうだ。その分、関東側に寄ってしまい、彼女は台風と同行するようなことになりそうだ。
前回は春の彼岸時期だったので久しぶりに墓参りしてきたとのことだったが、今回は御盆の墓参りに行くとのこと。年を取ってからの墓参りは応える。熱中症と台風には要注意也。

帰宅は08/11の予定だが、前回(2016/04/24)と同様に新しく作られるであろう部分入れ歯の調整のため、1ヶ月程度後には再度上京することになるのだろうか。考えれば女将は、上京回数が既に3度目になるのか

女将が出かけた後に昼風呂した。そして気がついた。色々と手を入れて、女将が不在でも不自由の無いように気配りがされていた。普段は「俺よりもボケの進みが早いのかいな?」と思っていたのだが....なんの、知らないうちに色々と断取りされていた。これだけ気配りできるのならば、ボケている暇は無いだろう。
感謝。 これなら、俺がいつ逝っても大丈夫だろう。
タイガー&ドラゴン/横山剣クレイジーケンバンド

-【追記】-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
今日から立秋というのに、石川県かほく市が全国で一番の37.6℃で観測史上最高とのこと。他にも石川県内では羽咋36.7℃、志賀の36.5℃、金沢35.9℃、輪島35.3℃と5地点で猛暑日とのこと。
和歌山県に上陸した台風5号。北陸では本日の深夜頃から明日の15時くらいまでは風雨が強いとのこと。

フローリングに犬の抜け毛

「犬の毛を踏むと、2倍滑りやすい」 脱臼や骨折の恐れも 北里大など実験 - ITmedia NEWS
『犬の抜け毛がフローリングに落ちていると、2倍滑りやすくなる』とのことで、こりゃヤバイかも(?)と思い読んだが、『滑りやすくなるのは犬自身』という話題のようだ。 とはいうものの、犬が滑って脱臼・骨折する恐れもあるそうだ。

室内で犬を飼っている家庭では注意が必要だね。続きを読む

宇佐に行く

U.M.とは、大田支店勤務の頃に知り合った。
大田支店は東京都大田区のJR大森駅に程近く、大衆的な飲み屋の多い土地柄で、最終電車が無くなるとK.K.と共にU.M.のアパートに転がり込むのだ。
独身のU.M.に結婚を奨め、U.M.の産地である大分県の女性との話がまとまった時には結婚式に呼ばれたりした。

結婚式には、K.K.とT.Y.、H.N.の4人で宇佐市を訪ねた。
大分空港⇒別府⇒宇佐市 と移動して宇佐市のホテルに1泊し、結婚式に参列したのだが、詳細は記憶にない。
2泊した翌日からT.Y.の運転するレンタカーで湯布院とかを観光したが、これまた詳細は記憶にない。
なんせ、運転手以外は車内で酒を飲み、昼飯じゃ~といっては酒を飲んでいるだけなのだから、致し方無い。
3泊目は別府温泉に泊まり、フグ屋なんぞでこれまた飲む。
フグと聞いてビビッていたK.K.とT.Y.であったが、俺の強奨に一口食べたところ 「これは美味い」 ということになり、人の分にまで箸を出す始末と相成り、大笑い。 「食べ過ぎで死ぬゾ」 という落ちが付く始末。
翌日も朝から飲み、飛行機の立つ時刻まで間が有ったので、JR別府駅に程近い公衆浴場に入った。

公衆浴場との看板を見て そうなんだろうと思っていたが、内部は日本風の宿であった。
聞けば、昔は旅芸人が利用した木賃宿だったとのことで、8畳程度の大部屋から3畳ほどの小部屋が不規則に並んだ部屋だらけである。 「四畳半襖の下張」を彷彿させる作りになっていた。
公衆浴場と称するものは、半地下になっており、階段を下って入浴するというものだ。

2時間ほど仮眠したが、それも飽きたので早めに大分空港に行ってみたら前の便がフライトできずに居座っており、空港職員が3人の空席が有ると客引きすするので、それに飛び乗ったという次第。
搭乗機は最後尾にでかいエンジンが付いた機体で、遅れて乗った我々はそのエンジンに囲まれた騒音素晴らしいシートに座らせられた。 謀られた!! と思っても後の祭りである。 東京に近づいたハズなのにさっぱりと着陸せず、下には新島が見えるような位置にまで飛んで滑走路空きの順番待ちという状態にうんざり。

その後のU.M.は、目出度く第1子を妊娠し、JR大森駅近くのアパートから杉並区の社宅に転居した。
出産の為に奥方が宇佐市に里帰りしている時、U.M.の予てから希望が叶い、九州勤務ということで小倉支店に転勤が決まった。 U.M.とは、新婚の大森アパートにはじまり、社宅への引っ越しも手伝ったが、最後は里帰りしたままの為に奥方のいない社宅からの淋しい荷物運び出しまで付き合うことになった。

俺は勝手に全国に出張できたので、用事をこじつけては年に1-2度は小倉支店に行き、U.M.に逢い飲んだ。 ある時、U.M.が家を新築したので来いとの連絡があり、小倉支店から宇佐市に行った。
御立派な新築家屋は部屋数が多く、既に第2子がチョコマカとしている。 既にすっかりと大分弁に戻ってしまった奥方と、“小さな二人の女の子”の前で酔っぱらっているわけにもいかず、旅の疲れが相まって1升瓶をひっくり返した程度で早々に就寝と相成った。 翌日は、U.M.の案内で宇佐神宮を参拝することになった。
「二拝四拍手一拝」の作法を教わりながらも、二日酔いの俺はウロウロするばかり。 何を見たのか(?)は、サッパリ記憶に無い。
先日LINEに参加した際、偶然U.M.妻を発見。その後instagramにもU.M.妻の写真を発見した。“小さな二人の女の子”は立派な娘になり、当時は20歳代だった奥方はそれなりに老けていた。LINEは良いが、怖いね~

N.M.の結婚式帰りにも訪れた別府温泉や、歴史を辿りたい国東半島は、二日酔い状態ではなく改めて行ってみたい土地だね。 その際には、宇佐神宮にも行こう。 宇佐神宮(公式サイト)



アメリカでは大統領が変わったとやらで大騒ぎしている。 まあ、二・三年は話題に事欠かないだろう。

宇佐をローマ字綴りすれば「USA(うさ)」であり、 United States of America(アメリカ合衆国)と読める。
その為、宇佐神宮は「(USA)うさアメリカ神社」とも呼ぶと聞いた。 新大統領は日本が好きとの話も聞く。

死への恐怖心:考

過日、鶴田真由氏のTwitterにて告知のあったNHKアーカイブス「比叡山 千日回峰~“一日一生”いまを生きる~」を視聴した。 比叡山に在る日本天台宗の本山延暦寺の僧侶である酒井雄哉氏が阿闍梨となる修行を映した番組で、初回放送は1979年1月5日にNHK特集「行 比叡山 千日回峰」の再放送である。 WikiPedia:千日回峰行

初回放送時には、仏教を学問としてしか考えていなかった俺は、あの修行を関心深く視聴していた。
また、修行の様子も然ることながら、阿闍梨を見つめる里人信者が示す尊敬の振る舞いは極めて不思議であった。
テレビで知る限り、(少なくとも)関西以南では仏教を信仰する人達が多いようだ。特に近畿圏の古都と呼ばれる京都や奈良の里人は修行僧の托鉢には積極的に供養しているようだ。また、四国八十八箇所などに代表する霊場を巡礼することも関西以南が多いように思う。他には、京都に近い北陸地方と、幕府があった鎌倉だろうか。
俺が生まれ育った秋田では“寺や僧侶”との付き合いは極めて希薄であった。少なくとも俺の周辺では僧侶と付き合うのは葬式等の仏事の時だけで、仏教を信仰する為の証と見受ける行為をする者はいなかったと承知する。
中学生の頃に奥州藤原氏中尊寺毛越寺の存在を知り、「仏さんを拝んでどうするの」という感じであった。
仏教というものは、学問としては関心があったが、信仰の対象ではなかった。
近畿圏では仏教を信仰する人が多いのかも知れないが、或るラインから北部では仏教よりも山岳信仰というか古神道に親しむ里人の方が多いのではないだろうか。また、霊場でも慈覚大師が開山したとされる恐山だが、そこで口寄せするイタコが拠りどころなのでは無いだろうか。そんな事からなのかは知らないが、東北では阿闍梨よりも即身仏に対する信仰・敬意の方が高いように思う。ちなみに秋田の我が家では、極稀に来る托鉢僧は乞食坊主と呼んだ。
 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
そのような信仰心が反映された結果なのかは知らないが、東北地方の自殺率は高い。一方、仏教への信仰心が高いのではと思われる地方では自殺率が低い。
この自殺率の低い地域では“死への恐怖心”が強いようだ。 “死への恐怖心”が信仰への引き金になったのか、それとも、信仰心の強さから恐怖心が発生したのかは興味深い。

93歳で逝った俺の母親は殆ど病気らしい不調は無かったが、親父が死んだ後でも「死ぬことは怖くない」と言っていた。現在67歳で色々と病気持ちの俺だが、同様に「死ぬことは怖くない」。
まるで何とも無いかと問われれば、見知らぬ土地に出掛けるような気持ちとでもいうのだろうか。恐怖心は無い。
“死の恐怖感”は無いが、死にたい訳ではない。良寛和尚の最後の言葉と言われるが「死にとうない」ね。
千一番目の神を受け入れることができる日本人は、やはり縄文人の心を持っているのだろうと納得している。
いずれにしても、無宗教の俺としては死生観と呼べるような生き方は知らないが、自分に恥じない死に方をしよう。

関連過去記事:楽しい人生は / 「尊厳死法案」ねぇ / 日本仏教の不思議 / 宗教の不思議 / チベットの死者の書 / 家を出る時-覚悟 / 100万回生きたねこ / 生への執着心は / 「青い鳥」を探して

アイルランドに行った娘

品川の東京支店にいた頃はOAを担当していた為、他の担当では少なかった女性の派遣社員が居た。
ある時の派遣女子は、大学を卒業したばかりのピッカピカの世間知らずだった。 名前は忘れたが、N子としよう。

N子は、パソコンを用いた業務に関することは それなりに知識は有るものの、社会的なことには窮めて疎い。
それでも、酒を飲む雰囲気が好きだったのか、誘われれば、否、誘われなくとも 飲酒の場にはよく来ていた。
その為、女っ気の無い職場の若い者には頻繁に誘われていたらしい。
若い者と付き合っていれば良いものを、何故か親子ほどに年の離れた俺が酒を飲みに行く場合には、これを優先して着いて来る。 結婚を目的にして派遣社員勤めをしたわけではなかったようだ。
邪魔とも言えず、汚い居酒屋でよく飲んだものだった。 居酒屋はアイルランドのパブに似た雰囲気なそうだ。
当時は品川でパート勤めをしていた俺の女将も可愛がって、数度同席してくれた。 別に監視の為では無い。当時の俺は既に糖尿病で、人畜無害なのだから。
N子は、酒を飲む雰囲気は好きだったようだが、酒そのものに強いわけでは無く、少しの酒でよく居眠りをしていた。
ある休日の早朝に 俺の携帯が鳴り、話を聞くと築地警察とのこと。 前日の深夜、酔っぱらった女性を保護したところ 俺の名刺を所持しているとのことでグチャグチャと職質された末に、引き取りに来いとのこと。

そんなN子がある日言うには 「アイルランドに行きたい」 とのこと。
アイルランドなんて国は、おとぎ話に聞く程度の知識しか無いので聞き流していたところ、語学留学することを決めたので退職したいとのこと。 てなことで、ジタバタと、あっという間にアイルランドに行っちまった。

退職してアイルランドでおとなしく過ごしてくれれば良いものを、俺の自宅に国際便が届くようになった。
返事を出すにしても国際便なんちゅ~物を出したことの無い俺は、誠にオタオタしてしまった。
そうこうしているうちに、e-mailを使いたいとの話になった。 
アイルランドの大学サーバーを通じてe-mail送受信の設定は比較的簡単だったが、アイルランドのパソコンでは日本語を表示できない。 色々と手を尽くしたが日本語フォントが入手できず、結局はローマ字でのe-mailとなった。
それ以外にも、N子には使いまわされた。
親が携帯電話を紛失したので新しい携帯を買う手伝いをしてくれ等とのe-mailで、母親とも御面会した。
北総線沿いの矢切りの渡し付近まで、携帯を届けに行ったこともある。
そんなN子からのe-mailで、アフリカに行くとのこと。 アイルランドの大学で知り合った友人の国に行くとのこと。
アクティブなことである。 半年ほどアフリカ暮らしをした後、またアイルランドの大学に戻った。
パブ・バーとやらで、楽しげにビールを飲む写真が届いていた。
そんなこんなしている内に、我が家にはアイランドから届く絵葉書や土産物が転がっている状態になってしまった。

数年が経ち、池袋が勤務地となっていた俺の携帯にN子から電話が掛かり、帰国したと言う。
品川時代の仲間を掻き集めて帰国祝いとなったが、以来N子との音信は無いままに20年程になる。
思えばN子も アラ4 の年頃だ。 おおよそ当時の俺の年回りとなり、子供がアイルランドに行きたいと言い出しているのかも知れない。 それとも、N子共々国外でくらしているのだろうか。

俺は、長年暮らした東京を捨て 故郷の秋田も捨てて当地に来た際に、それ迄の住所録を全て処分した。
向後の人生で、これまでにお付き合いした人達とは2度と接しない決意をしたからだ。
勿論、N子の住所など知るよしが無い。 しかし、アイルランドへの旅行番組を見ると懐かしく思い出される。

今では“アイルランド”に関する情報サイトも多い。 アイルランド政府観光庁


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カメラと鏡

親父はカメラが好きだった。 
1932年(昭和7年)に起きた、東京日本橋の白木屋デパートの大火事を撮影した写真が有ったから、いつごろからカメラを所持していたのだろうか??
警視庁消防部(現在の東京消防庁の前身)に勤務した頃に買ったというツァイス(コンタックス)の蛇腹式カメラを愛用しており、俺が中学校位までは触らせてもらえなかった。
消防車の運転手であり、カメラ撮影もできた親父は、2度にわたる出兵も司令部付きだったという。
戦争中の写真を多数保管していたが、親父の葬儀後お袋が焼却してしまった。 惜しいことをしたものだ。

そんな親父は、家族の写真もよく撮った。 俺の成長記や、お袋、そして身内の写真など等。

お袋は 「写真を撮られると魂も盗られる」 という話を信じたわけでは無いらしいが、俺が物心ついてからの写真は少ない。 俺が就職する際に2人並んで親父に撮ってもらったのが、当人の参加意思で撮られた最後である。
50代は嫌々ながらでも撮られていたが、60代を過ぎる頃からはカメラを向けると顔を隠すようになった。
お袋の葬儀の際、映っている写真を探すのが大変だった。

カメラに映ることを嫌うようになった頃から、自分達の部屋にある鏡以外の鏡の前に立つことも減ったようだ。
自分用の鏡以外に映る自分の顔が嫌だったのだろうか??

は、その品質の良し悪しで 映り方が違う。 明るい鏡・暗い鏡、千差万別である。
たかが鏡、されど鏡である。
世の中には、うぬぼれ鏡という物が有るらしい。
今どき、プリクラで写真を撮れば目鼻立ちを補正してくれるという。
そんなことをしなくても、高くても お気に入りの うぬぼれ鏡を買って、楽しい毎日を過ごしたいものだ

関連過去記事:パンツ(ズロース)見えた / 写真を撮ろう-想い出作り / 人相は変えられる
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安倍内閣の退陣を熱望

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